ホーム | 積丹町 | 古平町 | 余市郡 | 古宇郡 | 岩内郡

積丹町のアイヌ語地名メモ

最終更新: $Date: 2017/05/12 21:39:02 $

積丹町西部 野塚以西

[地図画像]積丹町地図 - 西部 沼前 ノナマィ マウニウシ トーォマィ 沼前 オソルコチ ノッカ オンネナイ 尾根内川 レタルシモナイ オソルコチ チシヤ マタトマリ 柾泊 サクルラン サルラン オカムイサキ 神威岬 カムイオプカルウシ スマチセ クチャナイ 草内 チャシコッ 余別 テレケウシ 茅沼 イナウスマ 稲穂岬 来岸 オソウシナイ 武威岬 チクシ ポロナイ ヘロキサンペッ オタパスマ ハラキサン シッテクサム シテキサン オタスッ 西河(歌棄) タンネポクニ ポロオタ チシヤ オタトマリ ウェント キモクシナイ パンケチシ 盤ノ沢 チカプンペ チャシコッナイ ポンエプイ

時計回り

現在地松浦図*1西蝦夷日誌*2永田地名解*3アイヌ語/ローマ字表記/意味位置備考
地図へ戻る沼前ノナマエノナマイノナ マイノナマィ沼前岬
北側ノッカより眺める沼前岬
ノナ:キタムラサキウニ。
nona-mainona-oma-i
海栗多き処ウニ・そこにある・所
 シユルクシヨシユルクシヨシュルウシクシ アイヌ植物誌(福岡イト子著)によると、フシというのはアイヌ語のブシ、ブシはトリカブトの子根、トリカブトはアイヌ語でスク。毒矢に利用され、その部位や効き目の程度によって使い分けるのだそうです。
shuruk-ushisurku-us-i
附子(フシ)多き処トリカブト・群生する・所
地図へ戻るマウニウシマウヽマツシ ニウシ沼前地すべり南側の海岸線。
積丹トンネルの北側の海岸線
沼前地すべり駐車場のハマナス垣根。
沼前の駐車場にあるハマナスの垣根。
アイヌ植物誌(福岡イト子著)によると、マウは maw ハマナスの実、マウニは maw-ni ハマナスの木。西蝦夷日誌中の地形の特徴は転太石の小湾。
maw-ni-us-i
ハマナスの木・群生する・所
マヲマウシ
maw-oma-us-i
ハマナスの実・そこにある・群生している・所
 ウラマニウラスニ   uras-un-i 笹・ある・処、かな?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.93 ウラスニ」の備考と同書巻頭に掲載されている沼前の写真によると、「- 略 - 自然状態ではササが優占する植生となっていたものと推定される」との記載があり、なるほど! 笹がその植生のまま地すべりの土塊に乗っかって海岸線にまで移動してきたと想像できます。
地図へ戻るトウヲマエトウヲマイ ト{トー}オマィ 積丹町史によると「二ツナイ」という旧地番があったようなので、もしかするとトゥ・ tu-oma-i (二つ・ある・所) だろうか? でも、国道229号線が繋がる以前の地形図には3つの池のような沼が載っている。
to-oma-i
沼・ある・所
地図へ戻るヲシヨロコチ  オソコチ沼前地すべり-正面左側。
沼前地すべり-正面右側。
沼前地すべり
沼前の地すべり地形そのもの。 「北海道の地名(山田秀三著)」によると、「オショロコッは全道の海岸にあった文化神 (道南ではオキクルミ、奥地ではサマイクル) の神話伝説を、義経伴官に置き換えて語られたもので、オショ・コッ oshor-kot 尻・跡 (の凹み)の意。 ふつう海岸段丘が窪地型になっている処の名である」とある。
2015/10/03追記:「ア語入門 p.202」によると「オソルコチ」の付近には「イマニチ」という名が残っているのが普通なのだとか。 しかし、今のところ積丹でそれらしき地名が残っている資料とは出会っていない。
osorkot-i
尻跡・{彼の}
 カモエニシタフカモエニシタツプ カムィニウタッコッ石神神社背後の岩崖。
tapkopは、おそらく石神神社背後の岩崖だと思う。
神岬会館下より南側を望む。
北側からみるとこぶに見えます。
カムイ・ニ・ kamuy-ni-sita-p 神の・樹木・収縮する・処。カムイ・ニ・ウ・タ kamuy-ni-us-ta-p 神の・樹木・ある・採取する・処。 永田地名解の空知郡空知川筋に「ni-shitap ニ・シタ 樹木収縮する処」という地名が載っているが、意味がピンとこない。 低木が群生しているとか、風雪の影響なんかで大きくならないとか、そういうイメージなんだろうか?
2015/09/16追記: 「kamuy-ni-us-tap 神の・木・群生する・肩 (熊の森がある崖山)」という気がしないでもない。

2015/10/03追記: 「アイヌ語入門 p.20」には「Ni-us-tapkop; にウ; 樹木が・群生している・丸山。 などの下略形であろう。」、とある。 また、「地名アイヌ語小辞典 p.128 tapkop」の「○2」には「尾根の先にたんこぶのように高まっている所」とある。 ということは、kamuy-ni-us-tapkop 熊(の住む)森のたんこぶ山というような意なのかな。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.94 カムイニスタ」の項は「kamuy-nisu-ta-p (魔)神が・臼・削り作った・もの」と解釈しておられる。うーん、強引な気がする。
kamuy-ni-us-tapkop
熊の・林の{木・群生する}・たんこぶ山
地図へ戻る ノツカ ノッカノッカ
沼前と尾根内の間の崎
西蝦夷日誌に書かれている地形の特徴は「小石浜の小岬」とある。
not-ka
岬・の岸{の上}
  オラエニシ オラエニウシ尾根内川と石神神社の間にある小川。
よく見ると上に滝があり、その下流に樹林帯があります。
西蝦夷日誌にある地形の特徴に「怪岩」とある。 ora-e-ni-ush-i 下に・水・樹木・ある(浸かる?)・処。これでは意味がよくわからないか。違うかな。 「怪岩」がある場所というと、どうしても石神神社の御神体を想起してしまう。
2015/09/16追記: 「o-ra-e-ni-us-i 川尻の・下・そこに・木・群生する・ところ (川尻の林)」かな?
o-ra-e-ni-us-i
川尻の・下・そこに・樹木・群生する・所
  マウニシテシ ニウテシ アイヌ植物誌(福岡イト子著)によると、「マニウテシ (ハマナスの実・木・群生・ヤナ・ところ)、つまり、ハマナスの実のなる木がたくさんあって、遡ってくる魚をとるヤナ垣のように連なっているところ」の意とのこと。
maw-ni-us-tes-i
ハマナスの実・木・群生・ヤナ・所
地図へ戻る尾根内ヲンネナイオンネナイ オンネナィ尾根内川
尾根内川
尾根内川。「北海道の地名(山田秀三著)」の美深町恩根内の項によれば、onne の「年とった、もともとの」という意から「大きい、主要な」という意でも使われるのだとか。 また、その周辺の沢と比べて相対的に大きいという意の場合もあるようだ。積丹町史には、長い川の意とある。 実際、周辺の川のなかでは長い川ですもんね。
onne-nay
大きい・沢
地図へ戻る レタシモナイ  レタシモナイ retar-simon-nay 白い・右の・沢。 retar-sir-mo-nai 白い・山の・小さい・沢。retar-ush-mo-nai 白い・ある・小さい・沢。なんだろうなあ。レタはレタだと思うんですが、仮に白い何かを指した表現だとしても、何を指しているのかがわからない。 神岬会館と尾根内川の間に第1白岩橋と第2白岩橋というのがあった! 白いのは凝灰岩の層のことか。問題は「シモ」が何を意味しているのか。 小さい沢形が2本ある。
地図へ戻る オシヨロコチ オソコチ神岬会館背後の断崖。
地すべり堆積物の上の神岬会館。
西蝦夷日誌ではオンネナイを北に越えたところにオシヨロコチが出てきて、松浦図の表記順とは合わない。 地形の特徴として「平磯で火燃の如き奇石有り」とも書かれており、磯にある奇石を指しているのか、山側にある奇石を指しているのか、二ヵ所にオシヨロコチという呼称があるのか、一ヵ所だけを指しているのか、よくわからない。神岬の会館のある辺りの地形なのだろうか? まさに会館の北壁が地すべりの作り出した「火燃の如き」岩だった。
osorkot-i
尻跡・{彼の}
地図へ戻るチシヤチシヤ 通称タコ岩のある海岸。 たこ岩に面している岸周辺なのだろうか?
chis-ya
立岩の・岸
  ヤムワツカナイ カナィ 永田地名解の宗谷郡の項に「yam-wakka-nay ヤ・ワカ・ナイ 冷水の沢」があるので、それに倣う。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.95 ポロムワッカオイ」の項によると、「この地名は尾根内川とタコ岩の対岸付近で海に入っている小沢との間にある河川を表すものと考えられることから - 中略 - 尾根内集落(またはその少し北側)で海に入っている小河川 - 中略 - を指すものと考えたい」とある。が、岩の崩落の危険があって現在通行不可になっていて海上からでもないと確認できません。
yam-wakka-nay
冷・水・沢
  チシヤナイ   素直に読むなら chis-ya-nay 立岩に面した岸の沢。 という意だろうか?
  シイ岩   素直に読むなら si-iwa 本当の・山、シイ岩の「岩」は iwa ではなく和語の岩なのかな。わからん。
  レフンコトマリ レプンコットマリレプンコットマリ
神威岬灯台側から柾泊を眺めると谷間の泊地にみえます。
素直に読むなら レプン・コッ・トマリ repun-kot-tomari 沖の・窪んだ{谷、谷間}・泊。でも、どこに対しての沖なのかという文脈がよくわからない。
2015/10/03追記: やっぱり柾泊の別称でしょうか。神岬会館ある岸側を基点に「沖の」方という意なのかな。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.96 マタトマリ」の備考には「レプンケトマリ rep-un-ke-tomari (沖の方にある・停泊地)と解し、現神岬漁港のある地点を指すものと考えたい」とある。が、「-ke」が訳出されていないような。
repun-kot-tomari
沖の・谷間の・泊地
地図へ戻る柾泊マチナトマリマチナ泊、訛りてマサトマリマタ トマリ  永田地名解には、和人「マサドマリ」に訛る。元名は「シュンクトマリ」云。 蝦夷松泊の義とある。shunku-tomari (蝦夷松の・泊)
mata-tomari
冬泊
 ニエタシユマコエタシユマコイ タ シュマコエタスマ{シュマ} 西蝦夷日誌にかかれている地形の特徴には大岩(波立岩)とある。
2015/10/03追記: koy-e-ta-suma (コィ・エ・タ・スマ)でコエタスマに。ただ、あの辺りのどの岩を指しているのかわからない。
koi-ta-shumakoy-e-ta-suma{shuma}
波打岩波が・そこで・掘り{削り}出す・岩
 ホンニオエホンニヨモイポン ニオモイ  松浦図のホンニオエのニオエは、二・オ・ィ ni-o-i (漂木・ごちゃごちゃある・処)か。pon-{ni-o}-moy 小さい・{寄木・ごちゃっごちゃある}・湾。
pon-ni-o-moi
寄木の小湾
地図へ戻るサツクルランサツクルウランチャル ランルラン ・ル・ラン sak-ru-ran 夏の・道・下りる。・ル・ルラン sak-ru-ruran 夏の・道・坂。 でも西蝦夷日誌に書かれている地形の特徴は崖。・ルゥ・ラン sak-ru-ran 夏の・道・落ちる(崩れる)だろうか。 でも、永田のチャル・ランもよくわからない。由来は「人上がれば石崩れ墜つ故に名付く」らしいから、チャロ・ラン charo-ran (入口・落ちる)なんだろうか? 積丹町史にはサルランという旧地番があるので、その辺りなのでしょうが。
choru-ransak-ru-ran
石崩壊する処夏の・坂道
 ニヨモエニモコイニ オ モイニオモィ 実際のこの辺りの地形からして、上のポンニオモイもニオモイも「湾」という感じよりも薄い入江という感じもしますが。
ni-o-moini-o-moy
寄木湾寄木・ごちゃごちゃある・湾
 トントシユマナイトントシュマチセトント シュマ チセイ  西蝦夷日誌に書かれている地形の特徴は岩崖。 永田地名解には「一本の石柱の下に穴あり故に名付く」とある。 トントは tuntu (柱)、スマ{シュマ}・チセ は suma{shuma}-chise (石の・家)で石柱の穴という感じなのかな。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.97 トントスマチセ」では「tonto-suma-chise 革張りの・岩の・家」と解してらっしゃる。立ち入り可能なら先まで行ってみたい。
tonto-shuma-chisei
柱石室
地図へ戻る神威岬ヲカムイサキ カムイカムィ神威岬
カムィ(神威岩とメノコ岩)
永田地名解によると、アイヌは神威岩(現在の呼称)を「カムィ」と呼び、和人はそれを「オカムイ」と呼び、それが岬名になったらしい。アイヌはこの岬を船で通るときにはイナウを立てて祈り通過したそうです。
2015/10/03追記: 「アイヌ語入門 p.40」によれば、アイヌにとっての「kamuy」の文脈は「こういう地名のついた所は、いずれも古来交通上の難所として幾多の人命を奪ったような恐ろしい場所で、そういう場所には恐ろしい神が住んでいて犠牲を要求するというような考え方にもとづいて名づけられたものなのである。 -- 中略 -- 古い地名の中ではむしろ魔の観念で用いられている場合が多いのである。」とあり、とても興味深いです。 意訳するなら「魔物」。
kamuikamuy
   イケザロ  積丹町史には「二つの神」の意とある。素直に読むと i-kes-sar それ・末端の・尾。でも「二つの神」という意なら i-kesh-sa-rok それ・末端・海側の方・座っている、という感じなのかな? イ・ケ・サ・ロ。 複数座っている、そのうちの海側の岩を指しているのかと思ったら両方なのか。アイヌ語の文法理解できていないのでわけわからん。
2015/09/16追記: やっぱり神威岩とメノコ岩のことなのでしょうね。周囲の岩礁も含んでいるのかもしれませんけど。 大難所で恐ろしいところだったのでしょうね。
2015/10/03追記: 「アイヌ語入門 p.21」によればアイヌ語がどうかは定かではなさそう。 仮に「rok」という単語が使われていると仮定するなら「a」の複数形だから二人以上座っている。 だから、i-kes-a-rok-i とか、i-kes-an-rok-i では文法的にはおかしいみたいなので、i-kes-sa-rok-i (それ・末端{尻}・の前・(複数)座ってらっしゃる・もの)という意になるのかな。問題は文法的に通るのかどうか。 もう、わけわからん。
ikejaro
二岬
 ラヤムケシヲシムチシ  ラヤムケシ
ラヤムケシ。水無しの海岸から尾根に上がるところだと思う。
ヲシムチシ(通称水無しの立岩)
ヲシムチシ。通称水無しの立岩のことだと思う。
西蝦夷日誌に書かれている地形の特徴は「大岩」がある模様。・チ chis (立岩)は分かっても、ラヤム、オシムの訛りの原型がなんなのか推測できない。 水無立岩と呼ばれている岩のような気もするが違うような気もする。
2015/09/16追記: ヲシムチシの方は、「アイヌ語小事典 p.80 osirusi」を引くなら、「o-sir-us-chis 尻が・水際の断崖・についている・立岩」かな。ということは、水無しの立岩を指しているようです。ラヤムケシの方は「ra-yanke-us-i 低い所から・陸に上がる・いつもする・ところ」で、水無しは、海岸から砂岩層の露頭直下へあがるのに適した斜面になっているということなのかな。
2015/10/03追記: あ、o-sir-us-chis よりも o-sir-un-chis の方が音が近いかな?(尻が・水際の断崖・にある・立岩)。
地図へ戻る水無し付近カムイヲプカルシカムイヲプカルシカムイ オ カルシカムィオカルシ水無し海岸 水無し立岩を槍と見立てたのかな? 水無しから立岩にかけての岩塔の並びが槍にみえますね。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.98 カムイオカルシ」の項では、所謂「カムイ岩」や水ナシ海岸の岩塔などを引っ括めてカムイオプカルシと呼称していたかもしれないと解しておられる。廻浦日記では「トントシユマチセ」の後に「ラシムテレ」続いて「カムエチフカルシ」ときてカムイなので西蝦夷日誌とは順番異なるんですよね。なのでカムイオプカルシの「オ」がオカムイさんを指していても不思議ではないのかもしれません。
kamui-op-kar'ushikamuy-op-kar-us-i
神が槍を作りし処神が・槍を・つくる{採る}・いつもする・所
地図へ戻るシユマチセシユマチセシュマ チセイスマ{シュマ}チセ 西蝦夷日誌には「岩屋」とあり、永田地名解には30人収容可能とある。積丹町史には水ナシの次にシマツナイという旧地番が載っているので、ひょっとすると地番の元になったのはシュマ・チセ・ナイなのかな? 時代から言って念仏トンネルの作られる以前でしょうから、岩穴なのか石組みの家なのか、どういうものだったのかな?
shuma-chiseisuma{shuma}-chise
石室石{岩}の・家{洞穴?}
地図へ戻る草内クチヤナエクチヤナイクチャ ナイクチャナィ草内の磯 「北海道の地名(山田秀三著)」によると、クチャ(kucha)は木を円錐形にたばねて作った狩猟などの時の仮泊用のテント風小屋だそうだ。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p99 クチャウンナイ」の項では「kucha-un-nay 借小屋・ある・川」と解しておられる。 どうやら伊能図ではクチヤウンナイと表記されている模様。伊能図見てみたい。
kucha-naikucha-nay
丸小屋の沢丸小屋の・沢
 ニウシナイニウシナイニ ウュ ナイニウナィニウシナィ
田中橋の架かっている沢だと思う。
順序からすると草内と余別の間にある沢地形だろうか。
ni-ush-naini-us-nay
樹木多き沢樹木・群生する・沢
地図へ戻るチヤシコチチヤシコチチャシ コッチャコッワリシリ岬の南側。
ワリシリ岬。
写真中、中央の崎がワリシリ岬。
ワリシリ岬の上の方にでもあったのだろうか?
2015/10/09追記: ワリシリ岬の語源について。「北海道の地名 (山田秀三著) p.493 わしり」のページには、『北海道の早く開けた地方には「わしり」、「走り」の地名が多く、皆同じ地形である。アイヌ語のウェイシリ(断崖)から来たとも、あるいは波間を走り抜ける処だという意味の日本地名だともいう。』とあり、また、積丹町史にも東北弁の「ワシリ (わたし、走る)」が由来かもしれぬと載っていた記憶が。古い地図には「ワシリノ岬」と記載されているものがあるようですが、この場所のワリシリの語源はアイヌ語の「wey-sir-i 水際の断崖絶壁 (地名アイヌ語小辞典 p.143)」なのではないかと。なお、wen(悪い)はサ行の前にあると「wey」になるそうです。
2017/05/06追記: ふと思ったのですが、シマツナイとミズナシの間の崎、念仏トンネルを掘るくらいだったのだから余程ワリシリっぽい気がする。
chashi-kotchasi-kot
砦跡砦・跡
地図へ戻る余別レホナイレホナイレポ ナイ 余別川河口 「北海道の地名(山田秀三著)」は、レポナイを指し、「レ・オ・ナイ(rep-o-nai 三つ・ある・川)の意らしい。余別はあるいはその別称だったか。 イ・オ・ペッ(i-o-pet それ・多くいる・川)と聞こえるが、あるいは他の言葉の訛りであったのかもしれない。 由緒の分からなくなった名である」と書いている。 また、積丹町史には、ユオベツ(南北に縦走する川)、ヨペッ(サメのあがる川)という説も載っている。
repo-nai
三支の川
地図へ戻るテレケウシテレケウシテレケ ウシ{}ケウシテルケウシ 永田地名解には「岩磯の上を飛び越して行く処」とある。
tereke-ushiterke-us-i
躍り越える処(岩から岩へ)跳ねる・いつもする・所
 カムイコシタカムイニシタ   沼前のカモエニシタプと同じなのかな。 kamuy-ni-shita 神の・樹木・収縮する。 風が強いので樹木が成長しない様なのでしょうが、そこに神が接頭することで、どういう文脈になるのかがわからない。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.101 カムイコウタ」の項では「kamuy-ko-us-ota 神・そこに・たくさんいる・砂浜」と解し「カムイ(熊)が漂流物などを漁るためによく出没していた砂浜を表しているものと考え」たのだそう。確かに一部に砂地が残っているようですが、むしろkamuy-ni-us-tap 神の住む森の肩という解釈の方が素直という気がする。「コ」か「二」か。
地図へ戻る茅沼カヤニヲマヘカヤニヲマイカヤノ マイ  永田地名解には「カヤニオマイ」一説に岩面に帆状ある所の義と云うともある。 kaya-noka-oma-i 帆の・姿(形象)・ある・処。 地形図の余別と来岸の間に茅沼という表記がある。 ただ、積丹町史によれば、帆かけ舟型の立岩は明治28年に海産干場拡張のため取り除かれたのだとか。
2015/10/03追記: やっぱり「ニ」が気になる。「カヤニヲマイ」の「ニ」は kaya-ni-oma-i (帆・柱・ある・所)という気もする。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.102 カヤニオマイ」の項は「kaya-ni-oma-i 帆柱(状の岩)・ある・もの」と解している。
kayan-oma-i
橋材ある処
地図へ戻る エナヲシユマ イナスマ{シュマ}イナゥスマ 西蝦夷日誌にある地形の特徴は「大岩」。 積丹町史の来岸周辺の旧地名に稲穂岬(イナオサキ)というのがある。おそらく辺りはイナウを立て祈る、祈って通った所だったのでしょうね。
inaw-suma{shuma}
木幣の・岩
地図へ戻る来岸ライキシシシャモラエキシシシャモ ライケ ウシ 来岸 si-sam-o-rayke-us-i 日本の・人(和人)・あるそこで・殺す・多いいつもする・処、という解釈なのかな。 si-sam-o-ranke-us-i 和人・(船などに)乗る・下ろす・いつもする・処、とも読めそう。 西蝦夷日誌によると、番屋があり、上に城跡があったという。
2017/05/06追記: 運上屋支所が置かれるくらいだから si-sam-o-ranke-us-i 和人・そこで・下ろす・いつもする・ところでも違和感ないような? raykeか rankeか。
shishamo-raike-ushi
日本人を殺したる処
  ホンチシ ポンチ 
pon-chis
小さい・立岩
地図へ戻るソウウシナイオソウシナイオソ ウュ ナイオソウナィ来岸オソウシナイ 武威トンネルの来岸側口手前の山の手側にある滝。
o-so-ush-naio-so-us-nay
瀑の川川尻{口}に・滝が・ある・川
地図へ戻る ムイ  来岸から武威岬を望む。 モイ moy (湾)の訛りかと思ったら、積丹町史によると「ムイ(箕)」、武威岬に棲息する生物から名付けられたものとある。 しかし、アイヌの使ってた脱穀用のムイというのは半月形だったらしいのですが。
地図へ戻る チクシ チクシチクシ 積丹町史には、「チクシ 崖を回って通る所」とある。 chi-kus-us-i の母音の重なりが省略されて、チクシなのか。
2015/10/09追記: chi-kus ではなく chi-kus-i だった。修正した。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.104 ノナコウシ」の項には、廻浦日記の「ノナコウシ」を元にチクシのチはノナの誤転記と推定されると記され、「nona-ko-us-i ウニ・そこに・群生する・もの」と解してらっしゃる。おそらく、誤転記ではなくチクシとノナコウシは別々の言葉だと思います。
chi-kus-i
我ら・通る{通行する}・所
地図へ戻る幌内府ホロナイポロナイポロ ナイポロナィプッ幌内府川河口 幌内府川。「北海道の地名(山田秀三著)」によると幌内府の「府」の由来はよくわからないそうです。 nay という名詞に -p は付かないからかな。
2015/10/09追記: 北海道立図書館のホームページ内のデジタルライブラリーに掲載されている地図を眺めていて「ポロナップ」と表記されているものが複数あり、「幌内府」の「府」は「-put 口」「poro-nay-put ポロナィの口」でポロナイの河口ということだったのか!
poro-naiporo-nay-put
大川大きい・沢の・口(河口)
地図へ戻るヘロチサンヘヘロキサンベツヘロキ サンベ  ヘロキ・サン・ペッ heroki-san-pet 鰊・下る・川。 しかし鰊は川で産卵するわけじゃないので意を推測するなら、岸に寄って群来る所の近辺にある川という感じなのかなあ。でも、san の語意には山から海側へという意が含まれているので、そのあたりの語感がわかりません。 幌内府川の別名だと思っていたら、どうも西河のあたりにハラキサンという地名があったようなので、そちらなのかもしれません。 それと、西河の川は滝ノ沢というのだろうか?
2015/09/16追記: 「heroki-sa-un-pet 鰊が・前に・いる・川」。やっぱり幌内府川のことかな。
heroki-sanbe
鯡下る処
地図へ戻るオタハシュマテクバシユマオクパ シュマオタパスマ{シュマ}オタパスマ
okupa-shumaota-pa-suma{shuma}
噬咬石砂浜の・上手の・岩場
地図へ戻るシテキサンシツテキサムシツテキシユマシッテキ サシッテシッテクサム 1/5万地形図余別の余別来岸の間にシテキサンという地名がある。
shitteki-samsittek-sam
砂壁の傍(海岸)壁の・傍
地図へ戻る西河オタシユツオタシュツオタ シュッ ペッオタスッオタスッ 歌棄。 「北海道の地名(山田秀三著)」によれば、オタスッという地名は、「どこも長い砂浜が、これから岩磯地帯になろうとするあたりの狭い浜である。 実際上は砂浜の端の処についた名なのであった」なのだそうだ。また、積丹町史によれば、かつて西河は沙河と呼ばれていたようだ。 西蝦夷日誌によれば、その上にイフイ、積丹岳があると。
ota-shut-petota-sut
沙傍の川砂浜の・根元
地図へ戻るタンネヒクニタンネビクニタンネ ポ ウニ シッテクサムから浜西河を挟んで海岸段丘下の海岸線を望む。
タンネポクニは写真上段から右上にかけての海岸段丘の下の海岸線だと思う。
玉石の浜
上記写真段丘下の海岸線は玉石の浜。
tanne-pok-un-i 長い・(山の)下・ある・処。 pok が蔭なのかな。西蝦夷日誌によると、地形の特徴は小石浜。地形図にある「転多(ごろた)」浜の辺りなのだろうか?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.106 タンネピケウニ」の項は「tanne-pikew-un-i 長く(続く)・小粒の石・ある・もの」と解してらっしゃる。
tanne-pok-uni
長蔭ある処
地図へ戻るホロヲタポロオタポロオタポロオタポロオタ 積丹町のキャンプ場のある辺りの砂浜かな。
poro-otaporo-ota
大沙大きい・砂浜
地図へ戻るチシシヤ チシヤチシヤ 野塚の三角形というか円錐形の形をしている俵状節理の見られる立岩の対岸。
chishi-yachis-ya
立岩立岩の・岸
地図へ戻るヲタトマリヲタトマリオタトマリオタトマリオタトマリ 岬の湯の段丘下の入江。
ota-tomariota-tomari
沙泊砂浜の・泊地
地図へ戻るウエンド  ウェン トーウェントウエンド 永田地名解には、「野塚村にあり、疫病流行の際アイヌ此沼中に死する者多し。故に悪沼と名付くと云う。此沼今埋没して僅かに水あり」とある。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.281 ウェント」の項に「この地名はウエンド川の起源となったもので、古くはこの川の流域に湖沼があったことを示唆するものと考えられる」とあり、その理由として扇状地の扇端部に湧水や沼沢が発達していることを想定しておられる。
参考までに: [図]積丹川河口周囲の浸水構造図。 ウエンド川と積丹川河口周辺の浸水構造図。積丹川は支流が隆起した海底火山由来の台地に進路を阻まれ北から西へ向きを変えるので流出する礫や砂礫が堆積し沼が埋まるということもあり得る。と。
wen-towen-to
悪沼悪い・沼

川筋 - 余別川、来岸

川名松浦図*1西蝦夷日誌*2永田地名解*3アイヌ語/ローマ字表記意味備考
余別川(レポナイ)筋地図へ戻るキモクシベツキモクシナイキモ クュ ナイ  ・オキモ・ク・ペッ(ナイ) kim-o-kus-pet(nay) 山の方あるそこを・通る・川(沢)。 昔の川筋が知りたい。 左岸尾根の裾野に一本沢が入っていた。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.278 キモクペッ」の項では「kim-o-kus-pet 山の方・そこを・通る・川」と解しておられる。 信号交差点からサンクチュアリセンタへ向かう道の脇の用水路かな?
kim-o-kush-nai
山の川
地図へ戻るハンケチシハンケチシバン チシパンケ・チシ下流の・立岩永田地名解には「バンは磐なり。アイヌ語にあらず。今人之れを磐の沢と称す」とある。 でも、パンケナイに漢字を当てたら番ノ沢とか磐ノ沢というパターン多いですよね。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.278 パンケチシ」の項では「panke-chis(-nay) 川下側の・立岩(の・川)」と解しておられる。また、同書「p.398 余別川」の川筋への記載位置は河川一覧の「盤の沢川」に該当しているのではないかと推定され、その「盤の沢川」はエコベ川の位置に該当すると思しき位置に記載されていて、その土木協会の河川一覧が手に入らなくて詳細分からないのですが、余別川右岸と幌内府川左岸に位置する「丸山」に設置されている点名が「番ノ沢」で地番は大字余別村字バンノ沢で、その丸山北西の沢筋が「盤ノ沢」じゃないんですかね?
ban-chishipanke-chis
磐上の立岩
地図へ戻るチカフンベチカフンベチ カマ ベ  これも訳が分からない。 素直に読むなら、チカ・フンペ chikap-hunpe 鳥・鯨、これだと意味わからないか。 チカン・ペッ chikap-un-pet 鳥の・いる・川、ならそれらしく聞こえる。 旧地番にワシノ沢、鷲ノ巣というのがあるのだけど、どの辺だろう。関係しているかどうかはわかりませんが。 仮に chi-kama-p なら、私・跨ぐ・処。 丸山から余別岳にかけての右岸尾根上に狭戸沢という三角点があって、推測するに set-nai 巣の・沢からとったのだとすれば、そちら側の川筋なのでしょうね。 現在雨鱒沢と呼ばれている方にツカマンベ川と書かれた地図があって、はたしてどちらの筋なのか。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.278 チカプンペ」の項では「chikap-un-pe 鳥・居る・もの(川)」と解され阿女鱒川を指していると考えたいとある。
chi-kama-be
岩上を飛び越して行く処
地図へ戻るカモイチセカモイチセカムイ チセイカムィ・チセ熊の・家西蝦夷日誌には神家とあり、永田地名解には「熊の棲息する石窟なり」とある。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.279 カムイチセ」の項に河川一覧の「武藤川あるいは清水川を指すものと推定される」とあり、明治期に余別川沿いに開墾に入った一族の方のひとりに武藤さんという方がいたらしく、大正期の地図には「武藤開墾」という記載が載っているので、その武藤さんに由来する支流の名称があるみたいです。
kamui-chiseikamuy-chise
神室
地図へ戻るホロソウポロ ソーポロ・ソ大きい・滝永田地名解には、高さ三丈、幅二間、海浜から約四里の距離とあるので、高さ9m, 幅5.45m, 海岸から約15.7kmもの奥。 珊内岳の東斜面のあたりかな。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.279 ポロソ」の項に河川一覧の「二股川を指すものとしたい」とあり、珊内岳北西の沢筋の名称らしい。二股川なんて呼称があったとは知らなかった。
poro-soporo-so
大瀑
来岸の段丘上の沢地図へ戻るチャシコッナイ  チャ・コッ・ナィ砦・跡の・沢西蝦夷日誌の来岸の項で上に城跡ありと言及されていたその砦跡の近くにある沢なのかな。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.103 チャシコッナイ」の項で神社の川を指すものとして推定されておられる。
chasi-kot-nay
西川?(オタ・スッ・ペッ)筋地図へ戻るホンイフイ エブイポン・エプィポコンと盛り上がった小さい山積丹町史には丸山(571.9m)と推測の旨あり。西蝦夷日誌の西河の項で「上にイフイあり」と言及されていたイフイ。 山田秀三氏によれば「ぽこんと盛り上がったような山のことにも使われた」のだとか。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.280 ポンエプイ」の項では「pon-epuy 子である・小山(川)」と解し、また、ゴロタ川右岸側の支流の名称ではないかと推定されている。
ebuipon-epuy
尖山
地図へ戻るホロイフイポロ エブイポロ・エプィポコンと盛り上がった大きい山永田地名解は「積丹郡第一の高山なり。和人積丹岳と呼ぶは是なり」と書いている。 実際は積丹郡第一の高山は余別岳ですが。 それにしても、当時余別岳はどう認識されていたのか気になる。 西蝦夷日誌のなかに「積丹運上屋より眺望」とする絵図があってシヤコタン岳の隣にユウヘツ岳という記述があった。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.280 ポロエプイ」の項では「poro-epuy 親である・小山」と解し、ゴロタ川の本流筋を表しているのではないかと推定されている。また、「余別岳の北西側約5km程の地点にある566.0m峰に注目した名称と考えたい」とあります。 で、実際にどう見えるかと言うと、エプイを探してA, エプイを探してB という感じに見え、上述566.0m峰がちょうど三角点幌内府に該当し、エプイ候補だらけ。地図ではポンが左でポロが本流筋のように読めるので特定するのは難しい。
poro-ebuiporo-epuy
大尖山

積丹町東部 野塚以東

[地図画像]積丹町地図 - 東部 野塚 サクコタン オタ 泊 パラコッ カマトマリ クッタルシ 日司 クルマッナイ 黒松内 クトトマリ ニトトマリ 入舸 ルシ岬 シルパ 積丹岬 カヤトマリ ポンニマプ ニマプ スマモイ シマムイ カシトマリ 笠泊 シケオソラウシ 女郎子岩 ピルカトマリ ピリカ岬 ポロモイ 幌武意 フンベモイ オカムラウシ トンナイ レプントマリ 浜婦美 エトゥランケウシ ピシヤ ビヤノ岬 チャルセナイ チャシナイ 茶津 美国川 美国 オタニコル ポントマリ 小泊 モノウシナイ アトマィ 厚苫 エカエウシ ニサムウシナイ ピラパナイ パンゲクシ ペンケクシ オキナゥンナイ ペテウコピ シュシュナイ ホリカシャコタン ポロエプイ

時計回り

現在地松浦図*1西蝦夷日誌*2永田地名解*3アイヌ語/ローマ字表記/意味位置備考
地図へ戻る野塚  ノッカノッカ野塚漁港背後の段丘
野塚漁港背後の段丘の辺りは顎(not)のようにカープしていて、また西からみると小岬になっているから、その上を指しているのではないかと思う。
積丹川右岸の段丘
積丹川右岸の崎の段丘上では離れていると思う。
永田地名解には、「野塚村の原名なり。今の野塚村は原野にあるを以って「ヌプカ」村と云うべき如くなれども然らず。従来岬に命じたる名なり」とある。 また、「北海道の地名(山田秀三著)」には「今の市街地の西側に突き出している丘陵の先の上をいった言葉だろうか」とある。
2015/10/09追記: not-ka は「岬の上」と解するよりも「岬の岸」と解した方が当てはまりそう。
not-kanot-ka
岬上岬・の岸{の上}
地図へ戻る積丹川口付近シヤコタンシヤコダン(ベツ)シャ コタン{シャ}コタン積丹川河口
積丹川河口
永田地名解には「春日鯡漁最も盛んにして、又夏日に至れば常に天気晴朗海波隠にして鮑、海鼠等の漁獲多し故に名付くと云う」とある。 西蝦夷日誌のシヤコダンベツというのは積丹川。永田地名解は積丹川を別途シュシュナイ川筋として扱っている。
2015/10/09追記: アイヌ語入門によれば、「シュシュナイ susu-nay」は「ススナイ susu-us-nay (柳・群生している・沢)」。
shak kotansak{shak}-kotan
夏場所夏の・村
地図へ戻る ヲタ オタ積丹川河口右岸
一見すると小石原に見えますが、下地は砂浜です。
ota 砂浜。 積丹川の河口両岸ともに小石浜か砂浜ですよね。西蝦夷日誌に出てくる順序としては泊の手前、河口の右岸(上流を背にして)あたりなのかな。
ota
砂浜
地図へ戻るトマリトマリトマリ 泊川河口 泊川の河口周辺だろうか。
tomari
地図へ戻る  パラ コッ パラコッ
潮だまり(タイドプール)
潮だまり(タイドプール)
para-kot 広い・凹地。へこみや窪んだ地形ってどの辺りなのか。 それとも「凹き浜」って岩磯の地形を指しているのだろうか。 でもあの辺の磯の地形なら kama-ya-us とも呼称しそう。 あのへんの地形は道路やトンネルが激しく変化しているので当りをつけるのが難しい。 ハイアロクラスタイトのボコボコした磯を指していたのか。
2015/10/09追記: para-kot-i パラコチ (広い・凹みの・もの)か。
para-kot
凹き浜
地図へ戻るヤマチトマリカマチトマリカマトマリカマトマリカマトマリ
上の写真は旧日司トンネルと釜泊トンネルの間の磯。
通称ヤマカの浜
通称ヤマカ。平磯と平磯の間に小石原の岸がある。写真左に旧釜泊トンネルがあり、右手にはかつてチャラセナイトンネルがあったところ。
積丹町史には釜泊の袋澗という記載があるので、袋澗のある辺りなのかな。 で、ふと思い付いたのはヤマカというのは屋号の他に、あそこのチャラセナイを yam-wakka ヤ・ワッカとも呼称していたと仮定すると、それが訛ってヤマカになったという気も。(笑) チャラセナイから日司前浜にかけての平磯を指しているのでしょうね。
2015/09/16追記: 通称ヤマカは「ya-oma-ka 陸(の方)・にあがる・岸」かもしれない。
2015/10/03追記: やっぱりカマチトマリの「チ」の音が気になる。
2015/10/09追記: 廻浦日記では「カマテトマリ」になっている。「地名アイヌ語小辞典 p.128 -tek」の項によると、「名詞あるいは名詞根について’……状を呈する’の意の形容詞を造る」とあり、仮に「kama-tek-」だとすれば「平べったい岩・の状態」だから、それは平べったいわけだから、どう訳するものなのか、やっぱりわからない。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.108 カマテトマリ」の項では「kama-tek-tomari 盤岩の(ある)・ような・停泊地」と解しておられる。なるほど、「平べったい岩のような」と解するといいのか。確かに平べったいというよりハイアロクラスタイトのゴツゴツボコボコした平磯だから、平べったいわけではないと。ような。
kama-tomarikama-tomari
平磐泊平べったい岩の・泊地
地図へ戻る日司クツタルシクツタルウシクッタルシクッタルシ日司前浜
日司前浜
この辺は慶長年間に積丹場所が置かれたと言われている所で(慶長年間と言うとまだ徳川家康が現役だった頃)、宝永三年に知行制から場所請負制に変わったときに運上屋を置いた所。 西蝦夷日誌には「運上屋一棟、板倉十二楝、当時はクツタラシにてシヤコタンと云うは場所の惣名なり」と書かれている。 ただ、なぜ「日司」と名付けたのか、その由来がわからない。日を司る。
2015/10/03追記: 「地名アイヌ語小辞典 p.96」に「piwka ぴゥカ 石原、小石川原」とあって、もともと日司の前浜は石原砂よりも少し大きい細かい礫状の浜だったので、もしかしてピゥカが訛って日司と当て字されたのではないかと、ふと思う。また「同小辞典の p.95」には「pit は大小岩石の総名で」とあり、もともとは弁天岩を筆頭に大小種々の岩の名勝地だったことを想像するに pit-o-ka ピトカ(石・群在する・岸)あるいは pit-ka ピッカ(小石・の岸)に日司と当て字されたなんてことは、考えすぎですかね? でも、別称に本陣マイ、本陣-oma-i (本陣・のある・所)とも呼ばれていたらしいので、日司の語源がアイヌ語由来であっても不思議でもなんでもないような。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.108 ピトカ」の項があった。仮に「日司」がアイヌ語だったとしたらと見立てて「pit-o-ka 小石・群在する・(海)岸」と解することを試みられている。pit-kaよりpit-o-kaか。おらいも日司の語源はアイヌ語由来だと思う。
kuttar-ushikuttar-us-i
虎杖ある処イタドリ・群生する・所
地図へ戻る黒松内クロマツナイクロマツナイクル マッ ナイマッナィ黒松内の岸は日司漁港へ
日司漁港公園の案内板。
黒松内と入舸の間の磯
クトトマリ(推定)。
永田地名解には「和女難船して此処に死したるを以て名付けたりとアイヌ等云う」とある。 2014/07/30追記: 町史によると、積丹町が設置される以前の入舸村時代にはクロマツナイと入舸の間にクトトマリという字名があったようだ。 kut-tomari (崖・の泊地)という意味だろうか。
地図へ戻るクトトマリ2015/10/09追記: 「クトトマリ kut-o-tomari (崖・群在する・泊)」。「クトゥトマリ kutu-tomari 崖の付いている・泊)」。かつてあった旧黒松内トンネルのから入舸にかけての崖下の岩磯辺りでしょうか。
kuru-mat-naikurmat-nay
日本婦人の沢和女の・沢
地図へ戻る入舸ベンザイマ ニトトマリニトトマリ入舸の入江
写真は入舸川河口。
入舸の語義は弁財船の入る澗だから入り舟のようです。 2014/07/30追記: 町史には、積丹町が設置される以前の入舸村時代にヤトマリという字名が載っている。 ya-tomari (網・の泊地)、(陸・の泊地)か、それとも ya の前の言葉が省略されてそう呼ばれるようになったのか、わからないなあ。
2017/05/06追記:「アイヌ語デ1 p.110 ネトトマリ」の項によると「net-o-tomari 漂木・群在する・停泊地」とある。
nito-tomarinet-o-tomari
弁財澗寄木・ごちゃごちゃ{多く}ある・泊地
 ニカルシニカルイシニカルシニカルシ入舸からルシ岬にかけての海岸線で該当しそうな岩場。
ニカルウシ、推測
上は、旧小松旅館を西に越えたところにある岩場。岩を削って造ったと思しき足場がある。
ニカルウシ、推測
更に西の入江端の岩場。
ニカルウシ、推測
ルシ岬手前の首元の入江。
永田地名解には「梯子を掛けて上下せし処。ニカリウシの短縮語」とある。ニク・ウシ nikur-us-i 樹木陰・ある・処とも、あるいは nikor-us-i 崖と海に挟まれている処、とも読めそうな気もします。 2014/07/30追記: 積丹町史の登場順では「ニトトマリ-ニカルシ-ルシ岬-ニトリシ-メレヒロ泊-ニンピルトマリ-シリパ」となっている。 A: ルシ岬背後の三角錐のように見える崖の首あたりに梯子をかけて登り下りしていたのかもしれません。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.110 ニカルシ」の項は黒松内と入舸との間を指している。
nikar-ushinikar-us-i
梯処梯子・いつもある{使う}・所
 ニトリイシニトリイシニトリシ  ni-turi-us-i ニ・トゥリ・ウシ 樹木・船材・ある・処、という解釈なのかな。 少しひねくれれば net-ri-us-i 寄木・高く・ある・処とも読めそう。 2014/07/30追記: 町史ではルシ岬の次に記載されていますが、そうなるとこちら側になるので樹木が生えているようなところには見えない。 寄木を利用したという文脈なのでしょうか?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.110 ニトゥリウシ」の項によると、「ni-turi-us-i 木の・船の操り棒・群生する・もの」と解して入舸川を指しているのではないかとある。
nitorishi
船材を取る処
  メレヒロトマリ   西蝦夷日誌にかかれている地形の特徴は「大崖」。 ルシ岬周辺の地形から想像して、marek-pira marep-pira マレ・ピラ マレ・ピラ (魚を突く)槍・崖では無理があるかな? メピルとも読めそうだし、わからない。 2014/07/30追記: 積丹町史には「岩壁の船澗という意味である」とあるが、「メレ」が何なのかわからない。 廻浦日記の訳本ではメレの「レ」のあとに「(ン)」が記載されていて、メレなのかメンなのか判別できないみたい。 仮にニトリウシから見て、mak-un-pira- (後ろ側に・ある・崖)、 mak-un-pir-or- (後ろ側に・ある・蔭・の所)、mak-un-pir-o- (後ろ側に・ある・傷・多い)なら意味が通じそう。 町史にはルシ岬の後に記載されているが岬のちょっと手前に蔭になっている小さな入江がある。 しかし「マクゥン」の音が「メレ」「メン」になるとは思えないし、たとえば、実際この崖は神々しさを感じたりしますが kamui-mintar-pira のカムイが略されてミンタルが和人訛りの影響でメレになったというのは、考え過ぎか。考え過ぎですよね。
 ニンヒルトマリニンヒルトマリニンピルトマリ  所謂キトビロの多い泊という意らしいのだが、ギョウジャニンニクはアイヌ語で、キト、キトピル、プクサなどというので、nin-piru の piru がキトピルを指しているとしても、nin は何だろう? 2014/07/30追記: 積丹岬の手前、ni-un-piru-tomari (樹・ある・キトビロ・の泊地)、ni-un-pir-tomari (樹・ある・蔭・の泊地)、ni-un-pira-tomari (樹・ある・崖・の泊地) 昔は樹木が生えていたのかどうか、そのあたりがよくわからない。
2015/09/16追記: 「nik-un-pira-tomari 折り目・ある・崖の・泊地」というのは有りでしょうか? nik のニュアンスはよくわかりませんが、アイヌ語で柱状節理の頭が規則正しく並んでいる岩の様みたいなものはどう表現するのでしょう? 折り目の目が縦横にある様。あるいは、薪を積み重ね束ねた断面のような岩の様を。あるいは、「nik-un-pir-tomari 折り目・ある・蔭・泊」というのは有りでしょうか?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.111 ニンピロトマリ」の項によると「当初永田解を信頼してメ mempir(ノビル」と解したものの現地に赴いて調べたが無かった」そうです。そして同書によると「nin-pir-o-tomari ふくれ波・の渦・ある・停泊地」と解している。どうやらメレヒロトマリとニンピルトマリは同じ場所を指していたようだ。でも、なんかしっくりこない。
ninpiru-tomari
葱多き処
地図へ戻る積丹岬シリハシレパシリ パ{}パ積丹岬正面。
積丹岬正面
積丹岬の岩礁。
積丹岬
なぜかシリパという呼称は、釧路町の尻羽岬を除いては、瀬棚から小樽までの海岸線に集中している。 海に突き出している様を表現しているのでしょうね。 2014/07/30追記: このページに写真を載せました。 やっぱりアイヌの世界観は素晴らしい。どこが山の突き出しなのか把握しているだなんてすごい。
shiri-pasir-pa
山岬山の(突き出している)・頭
地図へ戻るホンニマホホンニマホポン ニマ ポンニマンボ
海上より。
ポンニマンボ
入江東側から。
地番字名のポンニマンボ。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.111-112 ポロニオマ、ポンニオマ」の項によると、どうやら明治5年の陸地測量部5万図幅地形図では二マンボとポンニマンボの位置が現在とは逆だったようだ。やっぱり、取り寄せて調べないとダメか。
2014/07/30追記: 積丹町史によると、シリパ(積丹岬)と二マンボの間に「カヤトマリ」または「カヤノトマリ」という字名があったみたい。 このへんに載せました。
地図へ戻るカヤトマリ2015/11/01追記: やっぱりカヤトマリはカヤノカトマリ「kaya-noka-tomari 帆の形象の泊地」のような気がする。 積丹岬の東約400m地点にある帆形のような岩礁に挟まれた狭い小入江を指しているのではないかと?
カヤトマリ? カヤトマリ。帆の形象その1 カヤトマリ。帆の形象その2

2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.111 カイカトマリ」では「カヤドマリ」を「kay-ka-tomari 波の・岸の・停泊地」と解しておられる。「kay」に波という意味あるのかな?
pon-nima-p
海栗少しある処
地図へ戻るニマホニマホニマ ニマンボ
海上より。
ニマンボ
入江の東側から。
地番字名のニマンボ。 ニマの「ニマ」は「ノナ、あるいはニナ」の訛りだろうか? ノナ nona-p, ニナ nina-p なのかな。 違和感感じるなあ。旧地番字名のニマンボなら nona-un-pe nina-un-pe ノナ(ニナ)ンプという感じだと思われるので理解できるけど、それから訛ったということなのかな? でも、素直にニマ nima-p を解釈するなら、お椀のようにくりぬいた形の・場所。 それでも通じるような気がする。 古い地図をみるとニマンボは現在の出岬灯台の東の入江のようだ。 2014/07/30追記: 蝦夷日誌に「ヌマンホ」という記載がありました。その中で「並びてホンヌマンホと云う処有り。番屋、二八小屋有り。ーー中略ーー ここの上なる沢に大なる硫黄山有り」とあるので、nino(nina)-un-pe なのでしょうね。 これもこのへんに載せました。
2015/10/03追記: -pと-peの誤り修正。ニマホは nino-oma-p 母音の重なりが省略されてニノマ
2015/10/09追記: 北海道立図書館のホームページ内のデジタルライブラリーに掲載されている地図のなかに、ニマンボの近辺に「ムシタマリ」、出岬の付近に「ムンタマリ」と記載されているものがある。「タマリ」は「トマリ」だろうか? ムシタマリ mun-sir-tomari は muy-sit-tomari と音韻転化すると考えられるので「草・地・泊」かな。ムンタマリの方は「mun-tomari 草・泊」。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.112 ムンウトマリ」の項には「mun-us-tomari 草・群生する・停泊地」とある。
nima-p
海栗多き処
地図へ戻る島武意シユマモエシユマモイシュマ ムイスマ{シュマ}モィ島武意海岸 ムイはモイ(湾)の訛り。旧出岬村。
shuma-muisuma{shuma}-moy
石湾石の・入江
地図へ戻る笠泊カストマリカシトマリカシュトマリ{シュ}トマリ笠泊 kas というのは漁労に使う円錐形の仮小屋なんだそうです。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.113 オロウェントマリ」の項によれば伊能図には「ホロムイ」の西側に載っているみたい。場所は特定できていないとのこと。知らなかった。
kash-tomarikas{kash}-tomari
丸小屋の泊丸小屋の・泊
地図へ戻る女郎子岩シケヲシヨラウスシケヲシヨロシユマシケ オショラ ウシ 女郎子岩 永田地名解には「往古神あり、大岩を負て、此処に棄てたる処なりと云う。 和人此岩を女郎岩と呼ぶ」とある。永田地名解が書かれた頃にはまだ義経伝説を絡めた話にはなっていなかったのかな? si-ke-osor-us-i (大きい・削る・入江・ある・ところ) とも読めそう。
2015/10/09追記: 「シケ」を「si-ke (大きく・削る)」と解釈すると si-ke-osor-a-us-i (大きく・削る・尻・座っている・いつもする・もの)ならば、 si-ke-osor-o-suma の方は(大きい・削る・尻・そこの・岩)という感じに。 ただし、「si-ke」は「自分を・削る」で「ケガをする」と解することもできそうなので、そのへんがチンプンカンプン。 それとも「シケ」を永田地名解に沿って「sike」と解釈すれば sike-osor-a-us-i (荷を負う・尻・座っている・いつもする・もの)なら、sike-osor-o-suma (荷を負う・尻・そこの・岩)という感じに。 仮に「オショラ」の「オ」を「ウ」の訛りだとすれば、si-ke-usor-a-us-i (大きく・削る・入江の中・に座っている・いつもする・もの)なら、si-ke-usor-o-suma (大きい・削る・入江の中・そこの・岩)。 あるいは、sike-usor-a-us-i (荷を負う・入江の中・に座る・いつもしている・もの)なら sike-usor-o-suma (荷を負う・入江の中・に座る・岩)。 もう、わけわからん。

と、ここまできて思い出した。山田秀三氏は「osor」も「usor」も同じ「入江」という解釈だった。

2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.113 シケオソルシ」の項は「sike-osorusi-i 荷を背負う・腰掛ける・もの(岩礁)」と解しておられる。
shike-oshora-ushi
負て棄てたる処
地図へ戻るヒリカトマリピリカトマリピリカトマリ{}カトマリピルカトマリ? ここも他所のピリカと同じ様に、ピリカ岬周辺の岩礁が防波堤のような役割りをしていて舟着きが良いとか、そういう文脈なのだろうか? 2014/07/30追記: 文脈がなんとなくわかった。積丹岬から女郎子岩にかけての海岸線は北に突き出していて季節風の影響を受けて時化易いがここは東側に面していて影響を受けにくいということなのかもしれません。ということは場所は幌武意湾の左岸、崖を背にして左側の磯を指しているのかも。 なので、上の地図の表記は間違っています。
2015/10/03追記: 地図修正。
pirika-tomaripirka-tomari
良港良い・泊地
地図へ戻る幌武意ホロモエホロムイ ポロモィ幌武意
poro-moy
大きな・入江
 シキナウシシイキナウシ シキナウシ 西蝦夷日誌には、蒲多き処とある。アイヌ植物誌(福岡イト子著)によると、「シ・キナ shi-kina (真の・草) アイヌにとってガマの茎で作られたゴザは最もいいものとされた」のだとか。
sikina-us-i
ガマ・群生する・所
 アヌシヤントマリアヌシヤントマリ  マッカ岬へ続く海岸線
マッカ岬の崎の辺りの入江なのかな。
西蝦夷日誌にある地形の特徴によると小川があるようだ。 ar-nusa-un-tomari 山向こうに・(海神を祭る)幣場・ある・泊。 an-shan-tomari 小屋・(山から浜へ)降りる・泊。崖の上に祠か小屋のようなものがあったかどうか次第かなあ。 旧地番に稲荷町というのがあったようなので、どの辺りなのか? イナウと関係していそう。
2015/09/16追記: 「ar-un-san-tomari あちら側(反対側)・にある・浜へ出る・泊」というのは有りでしょうか?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.114 アヌンサントマリ」では「an-un-san-tomari 鷲取り小屋・ある・停泊地」と解されている。
地図へ戻る 婦美語源フンヘモエフンヘモエ フンベモィフンベモィ
浜婦美へ下る途上よりマッカ岬東の入江を望む。
西蝦夷日誌にある地形の特徴は大岬で、「鯨湾の義」。 「北海道の地名(山田秀三著)」によると、「フンベの名のある処は、岬とか海辺の山を鯨に見立てた名である処が多い」のだとか。 ここがそうとは限らないかもしれませんが、幌武意の海岸から眺めるマッカ岬へ延びる稜線は堂々としていてクジラのようだ。 そうなるとポロモイの別称ということなのかな? マッカ岬の東側かな。
2015/10/09追記: このフンペが婦美の由来らしい。よくわからずにレプントマリの項に記載していた。
hunpe-moy
鯨・湾
地図へ戻るヲカムラシオカムラシ  オカムラシ
現在も管理されていると思しき漁小屋の脇に草どころか木々が。パッと見た感じでは川尻はナメ床っぽい。
西蝦夷日誌にある地形の特徴は「上に平山崖地」。 o-ka-mu-ra-ush-i 川尻・の上・詰まる・低い・いつもする・処。これでは訳分からないな。なんだろう。
2015/09/16追記: 「o-kan-mun-us-i 川尻の・上方に・草が・群生している・所」だろうか? それでも意味分からないけど。
2015/10/03追記: でも「ラ」の音を無視してはだめか。o-ka-mun-ra-us-i 川尻{口}・の上・草が・下がる・群生している・所。
2015/10/09追記: ちゃうちゃう。o-ka-mun-ra-us-i で(川口・の岸・草が・低い所に・群生している・もの)と書いた方がいいのか。 ちょっと助長なのかもしれませんが。
2017/05/07追記: 「アイヌ語デ1 p.115 オムンランウシ」では「ok-mun-ran-us-i 引っかかっている・草の・板(斜面)・付いている・もの」と解されている。うーん、どうでしょう。行けば分かるさ。
地図へ戻る トンナイトンナイ トゥナィトンナィ(浜婦美)
浜婦美
ト・ウン・ナイ tu-un-nay (丘・ある・沢) という感じだろうか。トが何を指しているのかがわからない。何かが二つあるのか、沼があるのか、丘なのか。 2015/09/16追記: 地名アイヌ語小辞典にそのものズバリ載っていることに気がついた。「tun-nay 谷川」。浜婦美に下りるときの沢かな。 2015/10/09追記: 「tun-nay」の発音は「トゥナィ」なのか。また間違えた。
tun-nay
谷・沢
地図へ戻る婦美レフントマリレブントマリ レプントマリレプントマリ
写真奥の崖手前の入江辺りだろうか。
マッカ岬東の海上を望む。
写真奥がマッカ岬で、その手前写真左の黄土色っぽい崖が下記スムトマリとメナシトマリを隔てる崎。更にその向こう側だから「沖」なのかな。
積丹町史によると婦美の辺りなんだそうだ。 フミという呼称は、「明治五年一月、村の命名、地番設定、並びに戸籍法執行による氏名の登録を行った時、フンベモエの下の分を省略してフミを婦美と発称したのではないかと言われている」とのこと。 「沖」がどこを起点としての沖なのかがわからない。
2015/10/09追記: 積丹町史にヤゴトマリとレフトマリという地番が載っていた。 「ヤゴトマリ ya-kot-tomari (陸の方・谷間{凹み}の・泊地)」に対してのレプントマリだったのか。トンナィの河口辺りなのかな。
repun-tomari
沖の・泊
 シユントマリシユントマリ シュ{ス}トマリ 西蝦夷日誌にある地形の特徴は小澗で、西泊の義。
shum{sum}-tomari
西の・泊
 メナシトマリメナシトマリ メナトマリ 西蝦夷日誌にある地形の特徴は小澗で、東泊の義。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.116 メナスントマリ」の項は「menas-un-tomari 東に・ある・停泊地」と解されている。
menas-tomari
東の・泊
 ラヲエラヲベ   ra-o-i 低い・多い・処 ra-o-pet 低い・多い・川。 「ra」が何なのか、低いのか、臓腑なのか、それともラオエはそもそも訛った形なのか、わからないなあ。
2015/09/16追記: 「ra-o-i ra-o-p 低い所・に群在する・もの」って何だろう?
2015/10/10追記: こちらの方が崖崩れのデブリのことだろうか?
2017/05/06追記 「アイヌ語デ1 p.116 ラオベ」の項は「ra-o-pe」になっているけど「ra-o-p」の間違いですね。意は「低く・付いている・もの」と解しておられる。
 ニヲモエニヲモイ ニオモィ  
ni-o-moy
寄木・ごちゃごちゃある{多い}・入江
地図へ戻るエタランケウシエタランケウシ  エタランケウシ周辺の海岸線 その1
エタランケウシ周辺の海岸線 その2
エタランケウシ周辺の海岸線 その3
この写真を見ると「鼻が下の方についているもの」という意味かな。
板切石
西蝦夷日誌にある地形の特徴は「崖下」。 etu-ranke-us-i 岬・下る・いつもする・処。ran-ke で自動詞他動詞になるから、いつも崩れている処なのかな。 エタが e-ta 頭・山(丘)なのか etu 鼻(岬)なのか、よくわからないなあ。
2015/10/09追記: etu-ranke-us-i (鼻{岬}・下の方にある・群在する・もの)。 「ran-ke 下る」という自動詞に「-ke」が接尾して「下ろす」という他動詞になったものと考えると「etu-ran-ke-us-i (鼻{岬}・下ろす・いつもする・もの)」。 ひょっとして崖崩れのデブリのことを指しているのかな?
2015/10/10追記: やっぱり etu-ranke-us-i (鼻が・下の方に・ついている・もの)、岬が周囲より低くついている所と解する方が適当なのかな。
2017/05/06追記 「アイヌ語デ1 p.116 ポロエトゥラッキウシ」の項では「poro-etu-ratiki-us-i 大きい方の・岬・ぶら下がる・よくそうである・もの」と解しておられる。
 ホンエタランケウシホンエタラケウシ   西蝦夷日誌にある地形の特徴は「大崖」。上のエタランケウシにポン pon- が接頭している形だから、小さい・エタランケウシ。
2017/05/06追記 「アイヌ語デ1 p.117 ポンエトゥラッキウシ」の項は「pon-etu-ratki-us-i 小さい方の(子である)・エトゥラッキウシ」と解されている。
 カヤノカヲマヘカヤノカヲマエ カヤノカオマィ  西蝦夷日誌にある地形の特徴は「岩岬」。 帆に作る草多きとの義也。素直に読んでみると、kaya-noka-oma-i 帆の・姿(形象)・ある・処、という感じにも読めます。 帆に利用した植物って何だろう? なんとなく板切石のことのような気がします。
2017/05/06追記 「アイヌ語デ1 p.117 カイヤノッカオマイ」の項では「kay-ya-not-ka-oma-i 波の・岸(ある)・岬・の岸・ある・もの(海岸)」と解されている。考えすぎのような。
kaya-noka-oma-i
帆の・形象・そこにある・もの
 ラウネトマリラウネトマリ   西蝦夷日誌にある地形の特徴は「小湾」。深き湾の義。ならば、raune-tomari 深い・泊地なのかな。ただ、「北海道の地名(山田秀三著)」の朗根内と羅臼の項目には、水の深さというよりも「低いところ」という意ではないかとある。仮にそうだとして、何が低いのか、の「何が」という文脈がわからない。
 ヲロウエントマリヲロウエントマリ   西蝦夷日誌にある地形の特徴は「小澗」。屈曲して悪しき船澗の義。or-wen-tomari 悪い所(水)にある・泊なのか、 oro-wen-tomari その中が・悪い・泊なのか、どちらにしろ何か都合の悪い泊地なんでしょうね。わかりませんが。
 テカハアニテカハーニ  西蝦夷日誌にある地形の特徴は「大岩」。 te-ka-haw-un-i ここ・の上に・声(音)・ある・処。te-ka-hay-un-i ここ・の上に・イラクサ・ある・処。 でも、hay はイラクサを加工したあとの糸のことらしいので後者は違うかな。 古宇郡神恵内のチカフニで気がついた。 「テ」じゃなくて「チ」だ。これも chikap-un-i チカ・ゥン・ィ 鳥の・居る・処、じゃないだろうか?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.118 テケパウニ」の項は「teske-pa-un-i 反り返った・岬・ある・もの」と解しておられる。
 タシユコロヲエトマリタシユコロヲエトマリ  特定できていません。
特定できていません。
どの辺りなのかはわかりません。岸を歩くことができればいいのですが。
西蝦夷日誌にある地形の特徴は「小澗」。わからん。ta-shu-kor-o-i ここに・鍋・持つ・多い・処じゃ変だし、tesh-kor-o-i 梁・持つ・多い・処。だとしても、梁に似た地形というのがよくわからないなあ。保留。
2015/10/09追記: ta-sir-kor-o-e-tomari (そこに・断崖{山}・持っている・群在する・そこの・泊)、あるいは ta-sir-kor-o-i-tomari (そこに・断崖{山}・持っている・群在する・もの・泊地)。という感じでしょうか?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.118 タオイトマリ」の項は「taskor-o-i-tomari 霜気(=寒風)・多くある・もの(海域)・の停泊地」と解しておられる。
 フレシユマフウレシユマ フゥレスマ{シュマ}赤っぽい崖と岩
赤っぽい?崖と岩
逆光で赤いのかどうか判別つかない。この辺りは海食洞だらけ。
西蝦夷日誌にある地形の特徴は「大岩」。赤岩の義。
hure-suma{shuma}
赤い・岩{石}
 セモエウントマリセモウントマリ   he-mesh-wen-tomari 山の方にあがる・悪い・泊。 ヘモ・ウェン、ヘマ・ウェン
2015/10/09追記: set-moy-un-tomari (鳥の巣・入江・ある・泊)じゃ何か変だし、he-moy-wen-tomari (入江の上の方が・悪い・泊)も意味不明になってしまう。si-e-mu-un-tomari (自ら・そこに・塞がる・そこにある・泊)では助長だし、うーん、わからん。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.118 ヘモイウントマリ」の項は「hemoy-un-tomari (サクラ)マス・いる・停泊地」と解されている。アイヌはマス(icanuy/sakipe)とサクラマス(icaniw)とは区別していたと思いますが、hemoyという単語があって、それがマスを意味するのかな?
地図へ戻るヒシヤヒシヤ  ビヤノ岬正面の岩礁
ビヤノ岬正面。
キト浜? 玉石の岸
ビヤノ岬と海食洞との間にある玉石の岸。
キト浜? 玉石の岸
海食洞に向かって右手の玉石の岸。
ビヤノ岬の北にある砂浜の入江
ビヤノ岬の北にある砂浜の入江。pis-i-yan-i ?
西蝦夷日誌にある地形の特徴は大岩。ピシャ、ピ・サ pi-shan pi-san (石が・山から浜へ流れ出る) という感じもする。
2015/09/16追記: 「pi-us-ya 岩・群居する・岸」というニュアンスでしょうか?
2015/10/09追記: 西蝦夷日誌にある「大岩」はビヤノ岬正面の岩礁だろうか? でも、岩場を「pi」と言うものなのかどうかがわからない。 ただ、ビヤノ岬のすぐ北側にある海食洞の両岸に玉石の狭い岸がある。 地元ではその辺りを「キト浜」と呼んでいるようだ。 それとも pi-us-ya じゃなくて pis-i-yan (浜・に・陸に上がる)という意かな。文法的には pis-i-yan-i とか pis-i-yan-nay になると思うけど。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.119 ピウヤ」の項では「pi-us-ya 小石・群在する・(海)岸」と解されている。
 イネセウシイネセウシ   西蝦夷日誌にある地形の特徴は大岩。i-ne-sey-us-i それ・のような・貝・多い・処。「それ」が神を指しているとは思えないので、ヘビかな。だとすると、ヘビに似た貝というのも変だ。イネセの間に何か省略されているのだろう?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.119 エンネセイウシ」の項では「en-ne-sey-us-i 尖った・ような・貝・ついている・もの(岬)」と解されている。
地図へ戻るチヤラシナイチヤラセナイ チャ{}セナィチャルセナィ 西蝦夷日誌にある地形の特徴は滝川で「崖より水一面滴る処。和人滝の間と云い」とある。 チャセナィ、チャセ・ナィ 崖をちゃらちゃらと滑り落ちる・川。
charse-nay
崖をちゃらちゃらと滑り落ちる・川
  キツトナイ   キト・ナイ kito-nay ギョウジャニンニクの・沢。積丹町史には「キトーンナイ、キトピルの群落をなしている沢」とあり、キト・ゥン・ナイ kito-un-nay (キトピロ・ある・沢)とも呼ばれていたのでしょうね。 町史によると「積丹山道がここへ下る」とあるので茶津の周辺の沢のようだ。
2015/10/03追記: kito-un-nay ではなく、kito-ot-nay (キトピロ・群生する・沢)か。
地図へ戻る茶津チヤシナイチヤシナイ チャナィチャシナィ 西蝦夷日誌には「小川、城跡の沢の義」とある。 城跡の沢なら chasi-kot-nay チャ・コッ・ナイ。 武四郎がこの辺りを探検した時代には、すでに「チャ 砦」は「砦跡」なんだという文脈があったのかもしれませんね。 いえ、わかりませんが。
chasi-nay
砦の・沢
地図へ戻る美国川ヒクニヘツビクニベツ  美国川河口 ピクニ・ペッ。 美国川。美国の語源には諸説あり、上原熊次郎地名考の「ビイウニ(小石のある処)」、永田地名解は美国郡の解説のところで「ポクニ pok-uni (蔭処の義)」と書いている。ビイウニ、ピウニ pi-un-i 小石・ある・処。ポクニ pok-un-i 蔭・ある・処。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.120 ピケウンニペッ」の項では「pikew-un-i-pet 小粒の石・ある・もの(海岸)の・川」と解されている。
地図へ戻るヲタニコロビクニ運上屋(ヲタニコロ) オタニコオタニコル
美国川河口右岸の様子。写真の正面辺りでしょうか? 美国の運上屋はどの辺にあったものなのか?
西蝦夷日誌や「北海道の地名(山田秀三著)」によれば、この辺りに美国運上屋が置かれていたのだとか。 また、「ota-nikor は崖と海にはさまれた狭い砂浜(知里氏地名アイヌ語小辞典)」とある。
ota-nikor
崖と海にはさまれた狭い砂浜
地図へ戻る小泊ホントマリポン泊 ポントマリ小泊
写真中、左の海岸線。
pon-tomari
小さい・泊
地図へ戻るモノウシナイモノウシナイ  モノウシナイ 西蝦夷日誌にある地形の特徴は小沢の砂浜。 mo-not-us-nay 小さい・岬・あるついている・沢、これは違うな。かな。 mo-nu-us-nay 小さい・豊漁・いつもする・沢。豊漁の小さい沢。これも何か意味が分からないな。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.121 モノッウナイ」の項では「mo-not-us-nay 小さな・岬・付いている・川」と解されている。
地図へ戻る厚苫アトマイアトイコイ  厚苫岬 素直に読むと、at-oma-i オヒョウ楡・ある・処。オヒョウは衣服の材料にした木。 積丹町史は「at」を「群がる、群れる」と解して豊かな処と書く。かつて厚苫岬周辺の海域はニシンの千石場所だったと云う。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.122 アトマイ」の項では「at-oma-i (鰊の)群来・ある・もの」と解しておられる。
地図へ戻るエカエウシエカエウシ  イカウシ 西蝦夷日誌にある地形の特徴は大岬。 etu-e-us-i 岬・頭・多くある・処、で岬だらけという海岸線を表しているのだろうか。 どうも「エカエ」がよくわからない。e-kar-e 頭・の岸に(の上に)・頭、とにかく岬が連なっている地形の意なんでしょうね。
2015/09/16追記: 「アイヌ語地名小事典 p.24 e-kay-* 頭が・折れている(頂上が平らになっている)」ならピンときそう。 e-kay-us-i 頂上が平らになっている・(状態の)ある・ところ。e-kay-e-us-i 頂上が平らになっている・そこで・つけている・ところ。コルを指しているような気がする?
2015/10/03追記: 廻浦日記ではイカウシになっているなあ。i-ika-us-i それ・越える・いつもする・所。エカエウシの「エ」は「イ」の訛りでしょうか?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.122 イカウシ」の項では「i-ka-us-i 越える・よくした・もの」と解しておられる。

川筋 - 積丹川、美国川

川名松浦図*1西蝦夷日誌*2永田地名解*3アイヌ語/ローマ字表記意味備考
積丹川/シュシュナイ川筋松浦図、西蝦夷日誌: シヤコタンベツ (積丹川)
ケナシハヲマナイケナシバヲマ ケナ・パ・ォマ・ナイ林の・上手に・ある・沢「北海道の地名(山田秀三著)」によると、kenash は川ばたの林のことだそう。河畔林の上手。
kenas-pa-oma-nay
アラヘツハアラベツバ  こじつけようとしても、ア・ア・ペッ・パ ar-a-pet-pa 対岸・我ら・川・頭、じゃ訳分からないな。ar-a-pet-po 向こう側・我ら・小川。a-ra-pet-pa 我ら・低い・川・頭。わっかんねえ。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.282 アッペパオマナイ」の項では「アラヘツ」と「ヲマナイ」が一つの言葉として扱い「ar-pes-pa-oma-nay 片側の・崖の・上手に・ある・川」と解し「大滝川」ではないかと推定されている。なるほど「ar-pes-pa」なのか!
ヲマナイヲマナイ  oma-nay ある・沢と読んでしまうと主語がない。わかんない。
2017/05/06追記: ウエンド左岸丘に上がってふと思いついたのが「oman-nay 山の方へ行く・川」かな?
ホンイヨヘツイヨヘツ  イ・オ・ペッ i-ot-pet それ・多くいる・川。pon-i-ot-pet それ多くいる小川。魚類多き川なら、ipe-o-pet なのかな。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.282 イオペッ」の項によると「i-ot-pe それ(蛇)・たくさんいる・川」と解しウエンド川を指しているのではないかと推定されておられる。また、ポンイオペッはウエンド川支流の山女川ではないかと推定されている。
フイタシヘツフイタシヘツ プィ・タ・ウ・ペッエゾリュウキンカの根を・掘る・いつもする・川アイヌ植物誌(福岡イト子著)によると、プイ puy というのは、エゾノリュウキンカ(別名ヤチブキ)の根のことで、8月になってから堀り、煮て食べたりデンプンをとって団子にしたのだそうです。
puy-ta-us-pet
ラフシマウシラフシマウシ  なんだろう?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.281 ラプマウシ」の項では「rap-us-maw-us-i (大勢で)下りる・よくした・ハマナス・群生する・もの(川)」と解しておられる。で、同書「p.109」の日司川の川筋呼称中の「ラプシヌヌシ ラプシxx-rap-us-xx」を読んでピンときたのですが、「rap-us-nup-us-i 人々が降り・いつもしている・野・付いている・もの、あるいは、野原群在するもの」なんじゃないでしょうか? 婦美の「七曲り」辺りの裾野辺りを指しているのではないかと。おそらく宝永7年くらいに開削されたとされる新道に準じるようなルートを辿っているように思うのですが?
七曲りの肩。 七曲りの裾。 七曲りの裾野。
地図へ戻るホリカシヤコタンホリカシヤコタン ル{リ}カ・シャコタン後戻り(逆流)する・積丹川西蝦夷日誌では積丹川の水源とある。ちなみに野塚と婦美との境にある橋の一つ手前に逆川橋(さかさがわばし)というのがある。
2015/10/03追記: 「アイヌ語入門 p.42 川に対する古いアイヌの考え方」によれば、アイヌは川を生き物と捉え海から発して山へ行く者と考えるから、「horka-」の意は「川が山へ行く途中でコースを変えて海の方へ向かっている」ことを指しているのだとか。となれば、積丹岳から離れてあたかも海側へ向かっているかのような川筋のところ。ちょうど野塚と婦美の境界辺りで浜婦美側へ向かっている。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.283-284 ホカサコタン」の項には「積丹川最上流部を指す名称と考えたい」とあって、同書「p.399」の積丹川筋の図では積丹牧場と平行する国道229号線の付近を指している。が、海側と言われると厳密には海側とは言い難いような。 大正時代の地形図には小樽茶屋のちょっと北に記載があるなあ。
horka-sakkotan
永田地名解: シュシュナイ川 (積丹川)
  地図へ戻るシュシュ ナイ  スス susu ヤナギ。 積丹川、スス・ナイ susu-nay. アイヌ植物誌(福岡イト子著)には、「ヤナギのアイヌ語名はススというが、イナウニスス(木幣・木・ヤナギ)ともいう」、また「イサパキニ(それ・頭・叩く・木=サケを捕ったとき、頭を叩く棒)に使われた」とあり、アイヌにとってのヤナギは神事にも生活にも欠かせぬ植物だというところが興味深い。
shushu-nai
柳川
  ポン ナイ   
pon-nai
小川
  シュシュ ナイ ソー  susu-nay-so の so の語義が平磯なのかナメなのか壁や面なのか、はたまた滝なのか、そう呼ばれた場所を特定できないと判別つかない。
shushu-nai-so
柳川の灣(湾? 淵?)
  ポン イオ ペッ  これも、pon-ipe-o-pet なのか。ポン・イ・オッ・ペッ pon-i-ot-pet 小さい・{それ・多くいる}・川、とも読めそうな。
pon-io-pet
魚類多き小川
  シノマン シュシュ ナイ  シノ・オマン・スス・ナイ sino-oman-susu-nay 本当に・(山の方に、奥に)行っている・ヤナギ・川。ヤナギ川の上流、最上流部。いくつかある源流部のうちのどの筋なのかな。
shinoman-shushu-nai
柳川の上流
  ヤマタラ ヌプリ  yam-a-ta-ra-nupuri ヤ・ァ・タ・ラ・ヌプリ 栗を・我ら・採る・低い・山、だろうか。永田地名解には「柳川の水源にあり」とあるので、どの山だろう?
yamatara-nupuri
栗山
  ホロカ シュシュ ナイ  horka-susu-nay 逆流する・ヤナギ・川。ホ{}カ・シャコタンと同義。
horoka shushu nai
逆流の柳川
  チ トイ エ ナイ  chi-toy-e-nay 我ら・土・食べる・沢。永田地名解には「直訳、吾人が土を食する沢。他の地名は概ね「チエトイウシ」と云う。直訳すれば、吾人が食する土ある処の義」とある。アイヌ植物誌(福岡イト子著)のハナウドの項には、「サハリンでは、皮をむいて干しておいた葉柄をもどし、細かく裂いて刻み、それを煮てしぼっておく。次に干し数の子を水漬け込む。木鉢のなかへいれ、アザラシの脂を少し注ぎ、まっ白になるまでつく。そこへチエトイ(我ら・食う・土=珪藻土)を少し水に溶いて加え、先のハナウドを混ぜて食べた。ハナウド料理といい、特別料理とした。(知里辞典)」とある。
chi-toi-e-nai
食土沢
  ノッケウ ア ン ナイ  「北海道の地名(山田秀三著)」の野付の項によれば、「ノッケウ (not-keu あごぼね)はただノッ(not あご)というのと同じ意味に使う。地名ではノッと同じように「岬」のことを呼んだ」とある。だとすれば、永田地名解の表記の通りノッケウ・アン・ナイだとすると、岬に・ある・沢、という意になりはしないだろうか。もし語義の通りなら ノッ・ケ・アン・ナイ not-kes-an-nay 岬・末端に・ある・沢という感じになるのかな。岬の末端、岬の端、どういう意だろう?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.282 アパオマナイ」を参考にすると、こちらの場合「ar」は「n」の前で「an」になるので、「notkew-an-un-nay アゴの・反対側・にある・沢、もしくは、アゴのあちらに入っている沢」かな? ただ、アゴがどの辺りを指しているのかが分からない。岬のようにある程度出っ張っている所で想像されるのが、昔の共同牧場の下を流れる積丹川本流の右岸の隆起した段丘崖。となれば、大滝川か、もう一本下流の鳥居川か。
notkeu-an-nai
岬端の川
  プイ タ ウュ ペッ  松浦図の「フイタシヘツ」と同義。
pui-ta-ush-pet
流泉花を取る川
  ラルマニ ウュ ペッ  rarmani-us-pet イチイ・群生している・川。
rarumani-ush-pet
水松の川
  イオ ペッ  ipe-ot-pet イペ・オッ・ペッがイオ・ペになるのか。
io-pet
魚類多き川
  トイ サン ナイ  土・下る・川。下るというより流れ出ているという語意なのかな。
toi-san-nai
土墜る川
茶津川(チャシナイ)筋チヤシウシ  チャ・ウ砦・ある・処チャだから茶津の沢筋だろうと考えただけなのですが、松浦図には美国川の支流として描かれていて、実際はどうなのかわかりません。
chasi-us-i
美国川(ピクニペッ)筋地図へ戻るヒラハナイビラバ   「北海道の地名(山田秀三著)」の平岸の項によれば、「アイヌ語地名の一般の例から言うと、川沿いの長崖の始まる処(上流側)がピラパ(pira-pa 崖の・上手)で、その終わる処がピラケ(pira-kesh 崖の・末端)」なのだそうです。 旧地番に小泊村美良波という地名があるので、その辺の地形なのかな?
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.284 ビラバナイ」の項には「pira-pa-nay 崖の・上手の・川」とあり、ビラバ川を指していると解されている。
ビラバ周辺の地形 外しているかもしれませんが、美国川右岸の不連続な河岸段丘の上流側のピラと思しき段丘の上を林道が通っていたので段丘の縁まで行ってみた。
ビラバ?の端。 対岸から見たビラバ?。 ビラバ川?右下。 ビラバ川?右上。 ビラバ川?左谷地。 雪解けの増水で川筋ショートカットするビラバ川?。
対岸からはいまひとつ判別し難い。
地図へ戻るニサウナイ  ニ・サ・ウ・ナィ ni-sam-us-nay 樹木の・側・にある・沢、だろうか。旧地番に船澗村ニサナイというのがあるので、その辺りなのかな。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.285 ニセウナイ」の項では「nisew-nay ドングリの・川」と解されている。また、焼野川を指しているのではないかと推定されている。
地図へ戻るハンケウシバンゲクシ  panke-us-i 下流側・いつもする・処。 panke-kus 下流側・通っている。旧地番の番越かな。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.285 パンケクナイ」の項では「panke-kus-nay 川下側を・通る・川」と解して「福井川」を指しているのではないかと推定されている。福井川なんてあるのか! 知らなかった。
地図へ戻るヘンケウシベンゲクシ  penke-us-i 上流側・いつもする・処。 penke-kus 上流側・通っている。地形図にある弁越。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.285 ペンケクナイ」の項では「penke-kus-nay 川上側を・通る・川」と解して「弁越川」を指しているのではないかと推定されている。弁越川ってあったのか! 知らなかった。
地図へ戻るヲキラナイヲキランナイ オ・キナ・ン・ナィ川尻に・キナ(草)・ある・沢まてよ、o-kira-nay 川尻に・逃げる・沢、かもしれないし、o-ki-un-nay 川尻に・茅・ある・沢、の意かもしれません。いえ、どちらでもないかもしれませんが。 どうやら別内沢みたいです。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.286 オキラウナイ」の項では「o-kinaw-nay 川尻に・(鹿の)角(ある)・川」と解し「清水沢川」ではないかと推定されておられる。清水沢川なんて呼称あったのか! 知らなかった。
o-kina-un-nay
地図へ戻るヘテコウヒ  ペテウコピ pet-e-ukopi 二股。 本流と我呂ノ沢との分岐だと思う。
ホロナシ  素直に読むと、poro-na-us-i 大きい・方へ・ある・処。 poro-nay-us-i 大きい・沢・ある・処。大きい方をいつも選ぶ処という意味だろうか。わからん。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.286 ポロナイ」の項には「poro-nay 大きな・川」とあり、所々の理由により河川一覧の「ポロナイ」とは異なり二股より上流の美国川本流と考えるに至った模様。ええー、河川一覧にポロナイ川なんて記載あるのか! 知らなかった。ポロとポンネで対なのかな?
また、同書p286では「別内川」を「ペオッナイ pet-ot-nay 水・たくさんある・川」と解しておられる。が、本流との合流地点のちょっと上に砂防ダムがあるので、増水時には川尻荒れる川だったのかもしれません。
シユンクウシシユンクシベツ スンク{シュンク}・ウ・ペッ蝦夷松・群生する・川 2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.287 スンクウピケウンニ」では「sunk-us-pikew-un-i エゾマツ・群生する・美国川(支流)」と解されておられ、また「sum-kus-pet 西側を・通る・川」と解すことも可能と記載されています。西蝦夷日誌に二股「右シユンクシベツ源シヤコタン岳至」、川筋図でヒクニ最上流部に記載されているので「ポンネアンチシ川」を指すものではないかと推定されておられ、今後更に検討を加えたいとも記載されています。170年近く前の植生と現在の植生との違いを推定するのは大変そう。
sunku-us-pet
ヒクニシノマンビクニ シノマン・ビクニ美国川最上流ビクニの語義は置いといて、また美国川がビクニペッと呼ばれていたかどうかは置いといて、美国と呼称される川の奥。sino-oman-美国 ほんとうの奥・美国川。
sinoman-bikuni

その他

エサンナイ、伊佐内
積丹川支流。e-san-nay?(頭が・前に出ている・沢)、海側に出ている地形。どういう形状だろ。
2015/09/16追記: あるいは、「e-sa-un-nay 頭が・前に・はいっている(突き出している)・沢」かな。丸山(146)。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.283 イチャンオオソコッ」の項によると、伊佐内はイチャンナイの転訛・音訳されたものではないか。ということらしい。
クエドスベツ川
積丹川支流。旧野塚村と旧婦美村との境目。 これも分からい。ku-etu-sut-pet?(動物の・鼻の・付け根の・川)、kunne-etu-sut-pet?(黒い・鼻の・根元の・川)。
2017/05/06追記: 婦美のドデの地形が関係しているとするならば、「kus-etok-us-pet 川向こう・凸部・ある・川」のような感じしたのですが、音が遠いか。あるいは「「kus-e-tus-un-pet 川向こう・そこに・小山・そこにある・川」だと助長か。
2017/05/11追記: 地名アイヌ語小辞典の134ページに「tuk,-i 小山」という単語があるので、ひょっとすると「kus-e-tuk-us-pet 川向こう・> そこに・小山・いつもある・川」かな?
エゴベ川
余別川の通称エコー沢。e-kot-pet?(頭の・跡・川)なわけないな。 e が i の訛りだとすれば i-kush-pet 向こうの川とか、i-ot-pet イオッペッ (それ・多い・川)の訛りで、 それこそ余別の語源だったりして。 町史にそのような記述があったような気もする。
2017/05/06追記: 「地名アイヌ語小辞典 p.25 e-kot-pe 海中の孤岩 そこに・くっついている・者」
ポンネアンチシ山
どう解釈したら積丹町史の「楢の木の繁茂している峠」という意味になるのかが分からん。 さっぱり分からん。あと、ヒクニ岳とフルウ岳はどの山を指したものか。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.286 ポンネアンチウシ」の項は「pon-ne-anchi-us-i 小さい・ような・黒曜石・群在する・もの」と解しておられる。また、やっぱり「ポンネアンチシ川」は「我呂ノ沢」を指していたようです。黒曜石かあ、二股までしか行ったことないから分からん。
地図へ戻るビヤノ岬
ビヤノ岬 ビヤノの語源は町史に載っていたような。いなかったような。
2015/09/16追記: 「pi-ya-not 岩・岸・岬」かな。
2017/05/06追記: 「アイヌ語デ1 p.119 ピウヤ」の項は、「ビヤノ岬」の「ビヤ」とは「pi-ya」の転訛したものではないかと推定されている。
地図へ戻るルシ岬
ルシ岬 2014/08/02追記: rus-us-i (毛皮・いつも採る・所)の -us- が省略されて「ルシ」と発音されていたのかな。

参考ページ:
*1) 松浦図: 東西蝦夷山川地理取調図 松浦武四郎 国立国会図書館デジタル化資料
*2) 西蝦夷日誌: 多気志楼版 近代デジタルライブラリー
*3) 永田地名解: 北海道蝦夷語地名解 永田方正著 近代デジタルライブラリー
uri *a) 北海道立図書館 - 北方資料デジタルライブラリー
  • 河野常吉資料 野帳
  • 北海測量舎 1/5万分地形図
言葉の世界 「積丹地名行 余市から神威岬へ http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/aynu/syakotan.htm」
積丹・古平町に残るアイヌ語地名 (カムイミンタラ)
参考図書:
北海道の地名 山田秀三著 復刻版 草風館
アイヌ植物誌 福岡イト子著 草風館
アイヌ語入門 知里真志保著 復刻版 北海道出版企画センター
地名アイヌ語小辞典 知里真志保著 復刻版 北海道出版企画センター
積丹町史 積丹町
蝦夷日誌 上下 吉田常吉編 時事通信社
竹四郎廻浦日記 上下 高倉新一郎解 北海道出版企画センター
アイヌ語地名データベース 1 榊原正文著 北海道出版企画センター 参考文献一覧がスゴい。

$Id: AynuPlaceNames_SHAKOTAN.html,v 1.11 2017/05/12 21:39:02 irikagi Exp $
更新履歴:
2017/05/12: 下記修正の修正 tok --> tuk
2017/05/11: クエドスベツ川修正。
2017/05/06: ラプシヌプシ修正。写真追加。
2017/05/06: アイヌ語地名データベース1を使って添削。地図修正等、種々追記と修正。
2016/06/24: 日司の前浜の状態を修正。
2016/06/09: スマホに対応させた。が、とても読みにくい。
2015/11/01: {ポン}ニマンボの項追記。写真追加。地図修正。参考ページ追加。
2015/10/10: エタランケウシの項等、追記と修正。
2015/10/09: 更に追記と写真追加。
2015/10/03: 地図修正。種々追記。気の向くまま写真追加。
2015/10/02: ファイル名と表組み変更。表記をアイヌ語入門に合わせ手直し。 修正前のファイル
2015/09/16: いろいろ修正と追記。参考図書追加。
2014/08/02: 修正と追記。
2014/07/30: 種々修正と追記。
2013/12/07: リンク修正。参考ページ追加。
2013/11/30: その他の項追加。地図修正。体裁変更。細々修正。
2013/11/19: 地図を直した。修正箇所を色づけした。
2013/11/16: 便宜的に東西に分けた地図追加。ちょこちょこ修正。 以前の一覧表
2013/09/02: オタ・パ・シュマ加筆。
2012/11/10: 作成。