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余市郡のアイヌ語地名メモ

最終更新: $Date: 2016/06/09 08:12:09 $

海岸線 時計回り

[地図画像]余市海岸線地図 シレト シピピエト ユーナイ チシモイ スマトマリ ノナマィ レタルピラ ポントマリ イワネシルパ オタクシ クッチャラセ シルパ シリパ岬 ヤマウシ ヌッチ オタノシケ アルトル モイレ イオチ オタノシケ フゴッペ 湯内川 能登屋沢

現在地松浦図*1西蝦夷日誌*2永田地名解*3アイヌ語/ローマ字表記意味備考
  シヘビの岬   ひょっして、シピピが訛ったものでしょうか?
   チャラセ ナイチャ{}セナィちゃらちゃらと流れる滝の・沢永田地名解のこの記述は古平のチャラセナイと重複するものなのか、違うものなのか。
charase-naicharse-nay
小滝沢
 ヤマカヤマカ ワッカ冷・水ヤムワッカを早口でしゃべるとヤマカになるはず。(笑) 上記チャラセナイの別称だろうか?
2015/09/16追記: どうも通称二本目の浜のようだ。となれば「ya-oma-ka (陸の方・にあがる・岸)」なのかな?
yam-wakka
地図へ戻るシレト シリ エドシレト山の・鼻/岬大穴とあるので、旧道トンネルの間にあった岩穴のあたりなのかな。岩穴の西側の崎のことなんだろうか? 位置がよくわからない。
shiri-etusir-etu
地図へ戻るシヒヒエトシヒヒエト シピピエト大きい・石のごろごろしている・岬松浦図には和タコ穴伝とあり、西蝦夷日誌には第一の岬とある。 うーん、これが岩穴の東側にあたる蛸穴の岬なのかな? si- には大きい、ほんとうの、という意があるので、石のごろごろしている大きい方の岬というニュアンスになるのかな?。
si-pipi-etu
地図へ戻る豊浜ユウナイユウナイ(タシナイ)ユー ナイユーナイ温泉・川西蝦夷日誌には「水源に温泉の気有」、別称なのかユウナイの他にタシナイという記述もあり、また永田地名解には「川上に温泉あり」とある。 タシナイは tes-nay 梁の・川、かな? それと、余市水産博物館のアイヌ民族の展示コーナーに、かつて「チャ chasi 砦」があったと言われている場所の写真があった。神社の近く。 神社無くなった?
yu-naiyu-nay
湯川
 ホロヲヘトエホロテバトイ poro-o-etu 大きい・ある・岬。 poru-o-etu 洞窟・ある・岬。無理があるか。 2015/09/16追記: そう言えば、旧滝ノ澗トンネル手前に防空壕みたいな穴があったことを思い出した。あれ天然の岩穴なのか、それとも人為的に掘ったものなのか?
2015/10/03追記: 松浦図の項と修復修正。廻浦日記の表記はホロテハトエになっている。
 シユエクシシユウクシ シュ{ス}・ク shum{sum}-kus 西側を・通る。だろうか? シュマ・クシ shuma-kush 石・通る、だろうか? でも西蝦夷日誌に書かれている地形の特徴は「穴岩」。 想像するに、豊浜の湾東の岸辺にある小さな立岩を通るという意味のような気がする。 そこを通るというニュアンスなのかな? それともどこかに穴があって何かが通るという意味なのかな? 分からないなあ。
 タキシタ滝の下 和語。滝ノ澗ノ岬
 チシモエキシモイ モィ立岩の・湾立岩は何の岩を指しているのかな? ローソク岩だろうか? に面した入江という意だろうか。滝ノ澗ノ岬の東側の根元の入江なんでしょうが。
chis-moy
  ホロテバトイ 分解すると、poro-te-pa-toi 大きい・させる・上の方の・土。 なんのこっちゃ。
2015/10/03追記: 重複修正。
 シュマヘケレシユエグシ(シユマヘケレ) シュマ{スマ}・ペケレ shuma{suma}-peker 石(岩)・明るい。 シュマ{スマ}・ペレケ shuma{suma}-pekre 石(岩)が・割れている。 シュマ{スマ}・テレケ shuma{suma}-terke 石(岩)を・飛び越える。地形の特徴からしてどれも当てはまりそう。
  ヘン 西蝦夷日誌にある地形の特徴は「岩平」。 なにか略されている言葉ありそう。
地図へ戻る潮見シユマトマリシュマ泊シュマ 泊スマ{シュマ}トマリ石の・泊地旧地番の島泊。能登屋川の語源が気になる。
shuma-tomarisuma{shuma}-tomari
石泊
  ホンシユマトマリ ポンスマ{シュマ}トマリ石の小入江
pon-suma{shuma}-tomari
地図へ戻るノナマイノナマイヌナ マイノナマィウニ・そこにある・所ノナは、ニナ、ニマ、ヌナ、いろいろ訛る。
nuna-mainona-oma-i
海栗ある処
ワッカケ岬 ワツカウイ ワッカオィ水の・ある・所西蝦夷日誌にある地形の特徴は「岩岬」。 wakka-us-i という使い方もあり得るのかな?
2015/10/03追記: 「アイヌ語地名小辞典 p.142 wakka-ke-p」に「舟のアカとり」とある。 水があるのではなく、wakka-ke-岬で水削る岬という意なのかも。
wakka-o-i
  イチシ イチそれ・立岩西蝦夷日誌にある地形の特徴は「岩湾」。憚って呼びそうな立岩と言えば夫婦岩くらいしか思い当たらない。
i-chis
  シヨナイベ   西蝦夷日誌にある地形の特徴は「小湾」。 ソ{ショ}・ナイ・ペ so-nay-pe 滝・沢・もの、nai と pe が被るのはおかしいので、これは違う。 ソ{ショ}・ナ・イペ so-na-ipe 滝・の方の・魚。もっと変だ。ソ{ショ}・ナ・イ・ペッ so-na-i-pet 滝・の方に・ある・川。 そもそも滝は川だ。わけわからん。
  ノジュイシユマ   西蝦夷日誌にある地形の特徴は「星岩」。 ノッ・ス・イ・スマ not-sum-i-suma 岬の・西側・の・岩。 どうでしょう? どの岬の西側なのかはわかりませんが、ひょっとしてこっちの方が夫婦岩なのかな?
2015/10/03追記: not-suy-suma 岬・穴・岩、かな。
地図へ戻る白岩レタリヒラレタリヒラレタラ ピラレタピラ白い・崖出足平。
retara-piraretar-pira
白崖
  ホンレタリピラ ポンレタピラ小さい・白い・崖
pon-retar-pira
地図へ戻る ポン泊ポン トマリポントマリ小さい・泊地西蝦夷日誌には「人家」とある。
pon-tomaripon-tomari
小泊
地図へ戻る鳥帽子岬 イワネシレパ イワネシ{}パ岩山・である・(突き出している)山の・頭iwa は岩なのか山なのかというニュアンスがよくわからない。 円錐形のような形象なら iwa なのかな?
iwa-ne-sir-pa
  ユウベツ   西蝦夷日誌には「滝有」とある。 yube-pet チョウザメの・川。違うな。 イ・オッ・ペッ i-ot-pet 魚・多い・川が訛ったのかな。 そもそも白岩とシリパの間に魚の多いと言えそうな適した川はない。yu-pet 湯・川かなあ。
オトドマリ岬ヲートントマリヲートン泊   西蝦夷日誌には「人家」とある。 o-tom-tomari 下の方(川尻、山裾)・間・泊。 o-tu-un-tomari 下の方(川尻、山裾)・二つ・ある・泊。地形から推測すると後者のほうがニュアンス近そう。
2015/10/03追記: o-utur-un-tomari 山すその・間・にある・泊地、かな。でも、音は遠くなるか。わからん。
  リイベシボルー ペュ ポ ru-pes-pok 道・下る・山(崖)の下。 ru-pes-po 道・下る・入江。梅川側から歌越へ向かうとすればルペシペ ru-pes-pet 峠道の沢、の訛りとも受け取れる。 崖の下へ下る道、入江へ下る道、地形的にはどちらも符号するような。
2015/10/03追記: やっぱり「ru」じゃなくて「ri」なんじゃないかな。 ri-pes-pok (高くある・水際の崖の下)、ri-pes-pe (高くある・水際の崖のもの)、ri-pes-po (高くある・水際の崖の子)。 「-po」なら、オトドマリ岬とシリパ岬の中間の崎にある立岩を指しているような気もする。
ru-pesh-pok
阪下
地図へ戻る歌越 ウタンクシ オタスッ砂浜の・根元オトドマリ岬と神姿岩との間にある浜。 他所の例からすれば、オタ・スッ。「北海道の地名(山田秀三著)」のオタスッのニュアンスからすれば、これから岩磯になろうとする砂浜の端の方という意なのでしょうが、あそこは岩磯どころか浜の端の先は崖。 地形からすると、オタ・ク ota-kush 砂浜・通る、とも考えられなくもない。でもオタスッですよね。おそらく。 西蝦夷日誌には「番屋有、大岩崩なり」とある。余市アイヌの歌人違星北斗を輩出した違星家の漁場だった所。 2015/03/28追記: 保留。やっぱりkushの方かな。ウタンクシを素直に読めば ota-un-kush なのかな? これ保留。
2015/10/03追記: 「utur-kus-i ウトクシ (間・通る・所)」、もしくは「uturu-kus-i ウトルクシ (その間・通る・所)」、もしくは「utur-un-kus-i ウトルンクシ (間・ある・通る・所)」、が訛ったものと推測。
ota-sut
地図へ戻る クツチャラセ クッチャラセ岩崖を・ちゃらちゃらと流れる滝西蝦夷日誌には「人家」とある。
kut-charse
  セイノボリ   
地図へ戻るシリパ岬シリハシリパシリ パ{}パ山の(突き出している)・頭
sihri-pasir-pa
  ヒクノシケ   pi-kus-noske 小石・通る・中央。 pi-ku-noske 抜く・弓・中央。わからん。西蝦夷日誌には「岩岬。上に烽火場有」とある。 あ、ポ・ノケ pok-noske (崖の)下・中央、か?
地図へ戻るヤマシヤマシ ヤマウシ栗・群生する・処旧山碓村。
2015/09/16追記: 「yama-us-i」より「ya-oma-us-i (陸・にあがる・いつもする・所)」のほうが合点ゆきそう。
yama-us-i
地図へ戻るノツノツ(ヌウチ川)ヌ オッチ  ノッ not 岬。ヌ・オチ nu-ochi 収穫の・多い処。 永田地名解には「豊漁をヌーと云い漁獲多き処をヌーウシ或はヌオツチと云う。ヌツチと云うは訛りなり」とある。 地名アイヌ語小辞典は nut-i 意はつまり、緩やかな流れ。確かにヌッチ川の川下は表面的には緩やかな流れに見える。ような気がする。
nu-ochi
豊漁場
 ヌツハヲマナイ  パ オマ ナイヌッパォマナィ野の・上手に・ある・沢野がどこの野なのか定かではありませんが、野の上手。 永田地名解では野の上手で「東」。 ノツとヌツハヲマナイの松浦図の表記順と永田地名解の表記順が逆になっているので、ヌッチ川を指しているのか、それとも梅川を指しているのか、はたまた別の川を指しているのか、分からない。 nut-i-pa-oma-nay かもしれない。
nup-pa-oma-nainup-pa-oma-nay
野東川
   オペ シャク ナイ  永田地名解には「川尻水少く滴る」とある。 o-pe-sat-nay 川尻の・水・枯れる・沢。
ope-shak-nai
水無川
地図へ戻る浜中 ヲタノシケ オタノ砂浜の・中央
ota-noske
地図へ戻るハルトルハルトルハルトルアルト向こう側の・側面/向こうの土地永田地名解には「ハルトルはアルトルと同義。今切り通しの向こうなり」とある。あの切り通しってそんな時代からあったのか。
harutoruar-utor
山向こうの地
地図へ戻るモイレモエレモエレ(シユマナイ)ムイモイレ静かである西蝦夷日誌のシュマナイは、shuma-nai 石(岩)の・沢。 永田地名解のムイはモイ(moi)の訛り。下ヨイチ運上屋の置かれていた前浜の入江を指しているとは限りませんが、この項に入れた。
2015/09/16追記: 昭和50年に発行された余市郷土研究会の蝦夷西場所アイヌ語辞典という冊子に「モイレ山の事 クチコロカモイ」「モイレ崎の事 カモイロキ」という記載がある。「カモイロキ kamuy-rok-i (神々が・座ってらっしゃる・所)」、「クチコロカモイ」はわからない。kut-i-kor-kamuy (崖・の場所・支配する・神)というのは有りでしょうか? モイレ山体の流文岩の様か何かなんだろうか? それとも熊なのか。わからない。
muimoyre
地図へ戻る余市イヨチヨエチベツイオチ  余市という地名の由来も諸説あるようだ。 上原説のユ・オチ yu-ot-i 温泉・多い・処。確かに温泉は多い。永田地名解のイオチ i-ot-i それ・多くいる・処。 永田説でも、憚って「蛇」と解する説と、「(余市川の)蛇が曲がりくねっているかのような様」を表していると解する説がある。 それと、西蝦夷日誌の「ヨエチベツ」がいつからそう呼ばれていたのかが気になる。もとは何と呼称されていたのでしょうね?
iochi
蛇居る処
地図へ戻る大浜中濱中ヲタノシケ オタノ砂浜の・中央西蝦夷日誌には「人家なし。是鯡無故也」とある。長い砂浜。
ota-noske
地図へ戻る奮部(ふごっぺ)フンコエフンゴベ コイ ベ  永田地名解には「後世フンゴベと云う。フンキオベの急言にして番をする処の義なり。 余市と忍路と境表を争い番人を置きたる処故に此名あり。或人云フンコベは蜥蜴の義なりと」」とある。 「北海道の地名(山田秀三著)」には、波声高き説は「hum-koi-ot-pe (音・波・ある・処)ぐらいの形からきたと見るべきか」と書き、また境界争いの番人説の方は「punki-ot-pet (番人をする・いつもする・処)と解した」とある。
2015/09/16追記: 「違星北斗遺稿コタン(草風館)」のブゴッペの項(疑ふべきブゴッペ)に興味深い話しが載っていて、『往古「鍋を持たない土人がいて生物ばかり食べていた」というので、その土地を、フーイベと余市のアイヌは名を付けていた。然るに同じ土地を忍路のアイヌは、蛇が沢山いるところだったのでフウコンベツと呼んでいた。』という記述があり、また、現在フゴッペ洞窟遺跡の展示施設のある小さな山は、『ポントコンポとは今問題の中心である丸山の原名である。Pontokompo とはその形が小さいこぶに似ているところから発生した。』という記述がある。 「フーイベ hu-ipe (なまである・食物)」、「ポントコンポ pon-tokom-po 小さい・こぶ(小山)の・子」。 「フウコンベツ」に蛇の意が含まれる由来はよくわかりませんが、フゴッペ海岸の元の地形から推測するに砂丘と波の影響で河口は変化していただろうから、地名アイヌ語小事典「masar p.57」項の「hunki-pok 砂丘・下」を引くと、それに「-un-pet そこにある・川」がついて、フキポクンベッが訛ったんじゃないかと、ふと思いました。
2015/10/03追記: あ、hunki-ot-pe (砂丘・群在する・もの) フキオッペを早口で言うとフゴッペになるか?
hum-koi-be
浪声高き処

川筋

川名松浦図*1西蝦夷日誌*2永田地名解*3アイヌ語/ローマ字表記意味備考
地図へ戻るユーナイ(湯内川)筋ホンノナイホンノナイ   
ウラシナイウラシナイウラ シナイウラナィ笹の・沢永田地名解には「ユーナイ川筋」とある。
urashi-naiuras-nay
笹川
ルヘシヘルヘシナイ ルペペ(ナイ)道が・下る・もの(沢)/峠道島泊への峠なのかな?
ru-pes-pe
ヨイルヘシベヨイチルベシベ ヨイチ・ルペ余市・下る道(沢)当時は湯内川支流から梅川の支流へと尾根を乗り越すような路も使っていたということなのかな。 ただ、余市への峠道なのか、余市からの峠道なのか、そういうニュアンスが分からない。 オンコノ沢なのか、湯ノ沢なのかは分からないあ。
yoichi-ru-pes-pe
トモシリヒヤリホトモシリヒヤリヒ   
地図へ戻る能登屋川筋ウラシナイウラシナイ ウラナィ笹の・沢
uras-nay
 ホンネナイ   
ホロハラエツホロハロコネポロ パラ コッ  パラエツだとすると para-kot 広い・谷地。poro-para-kot 広くて大きい谷地。 でも、西蝦夷日誌の方のパロコネの音わからない。感覚的にはそんな大きな沢という感じしないんだけどなあ。 意外と能登屋沢本流のほうは暗い谷という感じだった。 一方で、ワッカケトンネルの西坑口脇の沢は旧道から見た感じでは明るい緩斜面に見えた。
poro-para-kot
大谷
 ワトウナイ   
出足平川筋ラウネナイラウネナイラウネ ナイラウネナィ低所の・沢永田地名解には「両岸高き川を云う。水深きにあらず」とある。どう表現したら適当なんですかね。
raune-nairaune-nay
深川
チカフセツナイチカフセツナイチカ セッ ナイチカセッナィ鳥の・巣・沢永田地名解には「鷲巣あり」とある。
chikap-set-naichikap-set-nay
鳥巣沢
 サマツケフウ   samatki- 横になっている。フウってなんだろう? ひょっとすると、フ hup トド松かな?
 サクルベシベ ルペ夏の・峠道
sak-ru-pes-pe
 マタルベシベ マタルペ冬の・峠道
mata-ru-pes-pe
 ニイセフ   ニ・イ・セ ni-i-sep 樹木・ところ・広い処。変だ。-i- が余計なのかな。ニ・セ ni-sep 樹木・広い処。
ヌウチ(ヌッチ川)筋ウヽセウーセ ウォーセ
wose
イクートイクービ   「北海道の地名(山田秀三著)」の後志南部久遠の項の「ku-un-tu (仕掛け弓・ある・山崎)」という説に倣うならば、i-ku-un-tu それの・仕掛け弓・ある・山崎。 ただ、西蝦夷日誌の「ビ」がわからない。
 クツカルシ クッタルシイタドリ・群生する・処
kuttar-us-i
 サリルベシベ サリルペ葦の・峠道ヌッチ川から仁木の旭台か砥の川へ尾根を乗り越すのに使われた川筋道なのかな?
sar-i-ru-pes-pe
余市川筋余市川 大雑把に下流から上流へ。川筋は仁木町を通り赤井川村に至る。
ホンニホルホンニクル ポンニク小さい・林2014/07/05追記: 新仁木町史には登川と推測されている。
pon-nikur
ニホルニクル ニクニクルとニホルは同じものなのかどうかは分からない。 2014/07/05追記: 新仁木町史では中ノ川あるいは種川ではないかと推測されている。 また種川の名はタンネから来ているらしいともある。
nikur
トウフニトワフニ トワプニ沼に・釣針・ある・処たぶん to- と -a の母音と母音の間につなぎの「w」が入っていると。 松浦図も西蝦夷日誌も海を背中にして余市川の右。おそらく右側にも沼あったんでしょうね。埋め立てたのかな? 2014/07/05追記: 新仁木町史には「トマップまたはトマッパ。じめじめしたヤチの事」とある。 となれば、to-oma-p (沼・に入る・川)の to が沼ではなくヤチなのかもしれず。
to-w-ap-un-i
ノホノタ     
シカリヘツシカリベツ シカリペッ我ら・回る・川/回っている・川然別
si-kari-pet
ムンカルシナイムンカルシムン カルシュ ナイムンカルシナィ草を・刈る・いつもする・沢西蝦夷日誌には「大江」とある。 2014/07/05追記: 新仁木町史によると大江ではなく「モンガク」のことらしい。 「久保武夫氏によれば、ムンクルシナイ→モンカクス。あるいはモンカクウス→モンガクに転じた」とある。 フレトイ川の山手側の地域なのだそうだ。
mun-kar-ush-naimun-kar-us-nay
茅を刈る沢
キナチヤウシキナシヤムシキナ チャ ウシキナチャウシ(蒲)草を・刈る・いつもする・処kina は草という意なので、蒲を指しているとは限らないが、蒲を指すことが多いらしい。蒲は、シキナ shikina. 2014/07/05追記: 新仁木町史によると西町八丁目から11丁目付近らしい。
kina-cha-ushikina-cha-us-i
蒲を摘み切る処
サツテク サッテケ ペッチサッテ痩せる、水流が細くなる
satteke-petchisattek
涸川
フウレヒラ フレ ピラフレピラ赤い・崖hure なのか、hur なのか、場所特定しないことには判別つかないような。 hure に「古別: ふるべつ」を当てているのかな? でも松浦図では左岸。現在の支流古別は右岸。場所は特定できそうにない。
hure-pirahure-pira
赤崖
マクヽハツタリマツクハツタラ ハッタ奥(山)の・淵大江の七曲辺りなのでしょうか?
mak-hattar
シヤクルヘシベシヤクルベシベシャク ルペュベシャ(サ)ルペ夏の・峠道夏の・道・下る・処(川)。こっちが現在の余市川支流のルベシベ川かな?
shak-rupeshbeshak(sak)-ru-pes-pe
水松ある処
シヽヤモリウシ  シサモリウシ日本人・いる・高い・処和人がいたということは、ここがエナヲ峠を越える際に使用した笹小屋のあった所なのかな。 仁木町の上山道、5号線から銀山方面への分岐道道1022号仁木赤井川線に入りルベシベ川のちょっと手前に涌水と史跡あり。
sisam-o-ri-us-i
 ルベシベ   ru-pes-pe 峠道。松浦図、岩内余市間のエナヲ峠。「北海道の地名(山田秀三著)」によると、エナヲ峠というのは、アイヌがルーチ(大峠)を越える際に山の神に「イナウ inaw 木幣」を立て祈り通った所ことから和人が稲穂峠と名付けたものらしい。 また文化年間(1804-1817)にこの峠を作り、安政(1854-1859)には更に改修し、途中に笹小屋を作って宿泊に供したとの事。 現在の地形図をみる限り、余市川西支流稲穂川沿いになるのかな? 稲穂トンネル仁木側坑口手前に松浦武四郎の史跡と「まつらの滝」と名付けられたナメ滝あり。
タイメム タイ メタィメ林・湧水林の中に泉があるという意味だと思ったら、永田地名解には「鮭の入る処」とある。
tai-memtay-mem
山下の泉池
ホロイチヤンホロイヤンポロ イチャンポロイチャン大きい・産卵場永田地名解には「鮭鱒の沙を堀り卵を置く処」とある。
poro-ichanporo-ichan
大なる鮭卵場
ホロメナホロメナポロ メポロメ大きい・泉どの辺だろ? 永田地名解には「鮭入る処」とある。
poro-memporo-mem
大なる泉池
ラルマニウシヤナラルマニウシラルマニ ウシマニウシイチイ・群生する・処イチイの方言はオンコ。
rarumani-ushrarmani-us-i
水松ある処
チライマクンヘツチライマクンベツチライ マ ウン ペッチライマクンペッイトウ・山側(奥)に・多くいる・川イトウの生息する支流。 現在生息しているのかどうか存じませんが、支流の馬群別川のことかな? 2014/07/05追記: 新仁木町史によると銀山の辺りの模様。
chirai-mak-un-petchiray-mak-un-pet
イト魚多き後背の川
 二股   ペテウコピ peteukopi 二股。 西蝦夷日誌の順では赤井川が入り込む所かな。 でも、白井川との分岐のほうが二股らしい二股なんだけどなあ。
ユクトラシユクトラシユク トラシトラシ鹿・それに沿って登る鹿道。永田地名解には「和人赤イ川と云」とある。 松浦図見る限り二股の海を背にして右手なので銀山か尾根内辺りのような気がしますが、どうなんだろう? 赤井川の由来はどの辺りからきているのだろう?
yuk-torashiyuk-turasi
鹿登る路
チユクニチユクニ チュクニ秋の・家違うかな?
chuk-uni
シユマウシヘツシユウシベツ スマ{シュマ}ウペッ岩(石)の・群在する・川
suma{shuma}-us-pet
クートシュマクートシエ   kut-o-suma{shuma} 帯・ある・岩。違うな。なんだろ?
ハンケムイハンケムイパンケ ムイ  パンケ・ムィ panke-muy 下流側の・箕(半円形)、パンケ・モィ panke-moy 下流側の淵。
panke-mui
下の湾
ヘンケムイヘンケムイペンケ ムイ  ペンケ・ムィ penke-muy 上流側の・箕(半円形)、ペンケ・モィ penke-moy 上流側の淵。 モイが訛ってムイなのか、それともそもそもムイなのか、どっちだべ。
penke-mui
上の湾
ホリカイヨチ ホロカ イオチ{}カイヨチ逆流の・イヨチ川あたかも逆流しているかのように見える所。
horoka-iochihorka-iyochi
逆流の上流
シノヲマンイヨチ シノ オマニ イオチシノマンイヨチイヨチ川の源流ヨイチ岳に至る。ヨイチ岳と名付けたのは何方なんでしょうね?
shino-omani-iochisinoman-iyochi
蛇川の上流
永田地名解の余市川筋のうちで松浦図と西蝦夷日誌にはない地名。あるいは符合するのかどうか分らないもの。順不同。
  マクン ペッ  マクヌナイ川? 山の方にある(入っている)川。 余市川の中流域には mak-un-pet が由来となっていそうな支流が3つある。マクヌナイ、馬群別、マカナイ。 まだ kim-o-kus-nay と mak-un-nay との語感の違いが理解できない。
mak-un-pet
後背の川
  シュプン トー  余市川河口周辺の沼なのだろうか?
shupun-to
ウグイ魚の沼
  シュマ ウン ピウカ  suma{shuma}-un-piwka を直訳すると、岩の・ある・石原という気がする。
shuma-un-piuka
石下にて鱒を取る処
  トー ウュ ナイ  永田地名解には「野沼にして鴨多し」とある。
to-ush-nai
沼の川
  タイ ハッタラ  然別駅の周辺でしょうか? tay-hattar 林の・淵。
tai-hattara
山下の淵
  ルイ オッ  砥の川? やっぱり ruy-ot 激しい・状態では無理があるのか。 ruy-ot 砥石・多くある、んでしょうね。 2014/07/05追記: 新仁木町史によれば砥川なのだとか。
rui-ot
砥石ある処
  オ サル ナイ  o-sar-nay 葦だから湿地帯が広がっているのでしょうが、どうも永田地名解の位置関係がよくわからない。 2014/07/05追記: 新仁木町史によると「尾猿内」という地名があったみたい。 オサルウシナイとも呼ばれていたみたい。現在の旭台の辺り。 また、獅子ノ沢という旭台の北側?の谷はシュシュナイ(柳の沢)が語源なのだとか。場所がわからない。
o-saru-nai
川尻に茅ある川
    永田地名解には「鮭鱒の入る処」とある。
mem
泉池
  ライクル ハッタラ  永田地名解には「往時アイヌの部落」とある。 「古代人と物語る象形文字符号 「ピラミッド・余市姫・刻画」III 余市村古代文字研究所 押切孝作著」によると、鮎場と呼ばれている所の上流、余市と仁木の境界スグの北の淵がそれのようです。 現在は土場?になっているようですが。 そしてちょうどその余市仁木境界の淵の崎上の通称「ニッカ山」と呼ばれていたらしい場所周辺にチャがあったのだとか。 それも余市姫の舞台だった可能性があるらしいです。
raikuru-hattara
死人淵
  ニタッタリ  永田地名解には「ニタッタリはニツアツタリの急言」とある。 net-u-hattar 流木(寄せ木)・ある・淵、と解したのか。 nitat-hattar ニタッ・ハッタ (湿原の・淵) とも読めそう。
nitattari,=nitu-attari
流木の淵
  トー アサ  永田地名解には「古川ありて沼底に流る」とある。 ひょっとして古別川でしょうか? 「古い」は大抵 husko が使われているようなので、やっぱり to- だから沼なのか。 to-asam (沼の・奥)の -asam を底と解釈したとすれば、減水したときに三日月のような沼の底に川筋が現れるとか、そういう意味だろうか?
to-asam
沼底
奮部川筋チフタフコエチブタヲマンベ   
 シヨウシヲマンベ   
ヲマチシネヲコチシネ   
ノカウシフンコエ    noka-us-フコッペ。 形象・ある・フゴッペ川。何の形象なのかはわからない。
シノマンフンコエ    sinoman-フコッペ。フゴッペ川の最上流、ほんとうの奥。

メモ用 - 現在の余市川筋地図

その他

ローソク岩
「北海道の自然探検 ジオサイト107の旅」という本の「p.93 コラム ○3」には「カムイ・イカシ(男神)として敬われていた」とある。イカシはエカシなのかな? 神のように恐れられた長老、あるいは神のように立派な長老。の比喩? 謎だ。
登川
nupuri (山の) という感じはしないし、nikur が訛ったものでもなさそうだし、nup-ri (野の・高い)、nup-or (野の・ところ)、わからん。 岩内郡の山の「ユワヲノホリ」を見る限り、ノポリはヌプリみたい。 現代の感覚で登を丘の風景として解釈すると訳分からなくなるわけか。
黒川
kunne-nay 黒い・川が由来なんだろうか?
トコシナイ
tok-us-nay 伸びている・ある・川。top-us-nay 竹・群生する・川。to-kush-nai 沼を・通っている・川。うーん。 2014/07/05追記: 新仁木町史によるとトクシナイ(得志内)と言うようだ。 「アメマスのいる川」という意らしい。tukushish-un-nai が訛ったのか。
フレトイ川
hure-toi 赤い・土。頂白山のことをフレトイ山と呼称していたような気がしますが、フレトイ川が語源なのかな。 2014/07/05追記: 新仁木町史によると、フレトイ川右岸は赤井川ロームと呼ばれる赤土の堆積層なのだそう。
トマップ
to-oma-p 沼・に入る・ところ。川上に沼があったのかな? 2014/07/05追記: 新仁木町史には「トマップまたはトマッパ。じめじめしたヤチの事」とある。 また、トカップという表記もある。to-oma-p (沼・に入る・川)の to が沼ではなくヤチなのかもしれず。
ドロ川
ひょっとして to-or (沼の・ところ) でしょうか?
古別川
「こべつ」と読むのか「ふるべつ」と読むのか、はたまた漢字の意を汲んだらよいのか、わからん。 音に漢字を当てたとするなら hure-pet フレ・ペッのような気がしないでもない。 でも和語かもしれない。 2014/07/05追記: 新仁木町史によると、やはりフレペッが由来みたい。
イザリベツ川
「北海道の地名 山田秀三著 p.52 魚川」によれば「ichan の所属形 ichani イチャニ (その鮭の産卵場)」がイザリとなったよう。 松浦図や西蝦夷日誌のポロイチャンやタイメムというのはあの辺りに記載されており符合する。
{上中下}尾根内川
一般的には onne-nay 主要な川、大川という意味だとしても、大きい支流には見えないし、それが3本もあることをどう理解すればよいものやら。 元もとは中州のあるところに注いでいたようなので、本流側にあるとか、あるいは古い川筋の方に接続しているとか、でも古い川筋なら hushko だろうから、うーん、どういう文脈なんだろう。わからない。 2014/07/05追記: 新仁木町史久保武夫氏によると「当時のアイヌの人々はここへ落ち合う各々の支流を余市川の子供であるとみなし、余市川本流をその親川であるとし」というのが由来のようだ。 オンネナイは支流を指していたわけではなさそう。
土木川
仁木と赤井川との境界になっている川。なにか由来ありそう。tok-pok?
種川(銀山付近)
新仁木町史には「イチャンコッペッ」(鮭や鱒の産卵する川)とある。 産卵場なら ichan-kor-pet、ichankot-pet ならイワナの川。
カッチ
新仁木町史によると、然別川分岐にある円錐形した円山の麓の地名らしい。
ピッパ川
新仁木町史によると、沼貝やからす貝の多い川が語源なのだとか。 もとは pipa-ush-nai とでも呼ばれていたのでしょうか?
仁木
新仁木町史によると、仁木町周辺はアイヌ語でオリラナイと呼ばれていた所だったようだ。 o-ri-ra-nay 川尻・高い・低い・沢では何かへんだな。 o-rir-a-nay 川尻に・潮・大量にある・沢というのもへんだな。 それとも o-rir-nay 余市川を潮が逆流して上がるところというニュアンスが含まれているのでしょうか?

参考ページ:
*1) 松浦図: 東西蝦夷山川地理取調図 松浦武四郎 国立国会図書館デジタル化資料
*2) 西蝦夷日誌: 多気志楼版 近代デジタルライブラリー
*3) 永田地名解: 北海道蝦夷語地名解 永田方正著 近代デジタルライブラリー
uri *a) 北海道立図書館 - 北方資料デジタルライブラリー
  • 河野常吉資料 野帳
  • 北海測量舎 1/5万分地形図
参考図書:
北海道の地名 山田秀三著 復刻版 草風館
アイヌ植物誌 福岡イト子著 草風館
アイヌ語入門 知里真志保著 復刻版 北海道出版企画センター
地名アイヌ語小辞典 知里真志保著 復刻版 北海道出版企画センター
古代人と物語る象形文字符号 「ピラミッド・余市姫・刻画」III 余市村古代文字研究所 押切孝作著
新仁木町史 仁木町
蝦夷日誌 上下 吉田常吉編 時事通信社
竹四郎廻浦日記 上下 高倉新一郎解 北海道出版企画センター
違星北斗 遺稿 コタン 草風館
蝦夷西場所アイヌ語辞典 川端義平編 余市町教育委員会/余市郷土研究会
余市町史 資料と研究 1 駒木根恵蔵編 余市町
北海道自然探検 ジオサイト107の旅 北海道大学出版会

$Id: AynuPlaceNames_YOICHI.html,v 1.2 2016/06/09 08:12:09 irikagi Exp $
更新履歴:
2016/06/09: スマホに対応させた。が、とても読みにくい。参考図書とローソク岩追加。
2015/10/03: ファイル名変更。表記をアイヌ語入門に合わせ手直し。地図修正。修正前のファイル
2015/09/16: モイレ、フゴッペの項等々修正と追記。参考図書追加。
2015/03/28: 歌越の項保留。地図も修正。
2014/07/05: 細々追加と修正。
2013/12/07: リンク修正。参考ページ追加。細々修正。
2013/11/30: 体裁変更。以前のもの。海岸線地図追加。
2012/11/10: 作成。